2011年8月7日日曜日

エネシフジャパン


エネルギーシフト勉強会の本ができました。
そこで、「新しいふるさと」と「住宅のエネシフは可能か」を提案しました。


エネシフジャパン
http://www.transworldjapan.co.jp/books/business/post-38.html

 東北の復興を考える際に、エネルギー政策は欠かせない。でも、それは機械が立ち並ぶ装置のようなものではなく、東北の豊かな自然や風景に溶けこんだものになる。小さなコミュニティに合った小さなエネルギーシフトの複合的な組み合わせ。それこそが、復興とともに新しい産業として必要なものである。人口減で20パーセント、技術革新で20パーセントの省エネを前提に東北の自然エネルギーへのシフトを試算する。
 さて、電気と熱はそれぞれの効率が良くなるよう、おのおので考える。電気は2メガワットの風力発電が4660本。東北地方は風が強い。これらは陸上だけでなく、洋上の設置も見込める。住戸それぞれが、自分たちが使う電力量をまかなう太陽電池を設置する。住宅は4キロワット/戸。集合住宅は1キロワット/戸。ほかにも工場、倉庫、農家に設置。また、小中水力、地熱を、ポテンシャル調査の50パーセント程度で導入する。熱に関しては、森林の成長量の50パーセントをバイオマスエネルギーとして暖房、給湯に利用する。これらの担い手は過疎化する農山村や漁村である。彼らが営んできた産業と、太陽や風は親和性があり、復興を支える経済的基盤としても意味を持つ。このようにして、東北はエネルギーシフトを進めていく。

東日本大震災復興助成

「三井物産環境基金2011年度東日本大震災復興助成」に建築・環境デザイン学科の提案が採択

三井物産株式会社(本社:東京都千代田区/社長:飯島彰己 以下三井物産)の三井物産環境基金2011年度東日本大震災復興助成(第1回締切分)において、東北芸術工科大学(山形県山形市/学長:根岸吉太郎)建築・環境デザイン学科が申請した「東北の被災地における地域公共圏のインフラおよびエネルギーシステムの提言-100世帯の集落 復興計画のモデル-」が「活動助成」案件として採択され、2011年7月25日に発表となりました。
三井物産は、東日本大震災復興支援の一環として、三井物産環境基金2011年度東日本大震災復興助成の募集を4月末より開始し、迅速な案件選定を行う為、締切りを3回設定。5月末の第1回締切には、被災地や被災地と連携した団体等から、「活動助成」に77件、「研究助成」に75件、合計152件の応募があり、これらの応募案件について、有識者や当社役職員等による1次審査および案件選定会議、案件審議会での審査を経て、「活動助成」13件、1億6千3百万円、「研究助成」15件、2億2千1百万円、合計28件、3億8千3百万円の助成を決定しています。
本助成に関する社外案件選定委員による総評、応募・助成案件概要、および助成案件の一覧は下記サイトをご覧下さい。
HP:http://www.mitsui.com/jp/ja/release/2011/1194725_1822.html

東北の被災地における地域公共圏のインフラおよびエネルギーシステムの提言-100世帯の集落 復興計画のモデル-
分野:持続可能社会
団体名(所在地):学校法人東北芸術工科大学(山形県)
代表者:建築・環境デザイン学科学科長 竹内 昌義
概要:「自然エネルギーを中心とした新しい集落のかたち」の復興プランを被災地住民とともに作成する。単に元通りにするだけではなく、新たな価値観に基づいた理想と思える未来の姿を描き、自然エネルギーを中心としたエネルギーの転換と産業振興や、コミュニティを維持した新しい集落のかたち、東北の風景を取り戻す活動の実施などのモデルの提示と実践を提案する。

2011年8月2日火曜日

児玉龍彦東大教授の国会陳述の衝撃(続)── 教授と議員との質疑応答

« 児玉龍彦東大教授の国会陳述の衝撃 ── 広島原爆の29.6個分の放射線総量が漏出している!
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菅野芳秀:誰が彼らを守るのか »

山口和之(民主党):民主党の山口和之と申します。福島県出身です。たくさんのお話ありがとうございました。色んな方が色んなことを言うので、実際どこが正しく、どこが安全で、どこが大丈夫で、何が大丈夫かと、まったく国民と同じ目線になっている自分がいます。まず少しずつお聞きしたいんですけども。ひとつとして、今回出ませんでしたけど、ホルミシス効果というのが、話が出たりします。例えば1万人のデータを採って、ある程度の線量の放射線を浴びた場合ですね、逆に健康であるという話があるんです。まず、これを肯定されるか、否定されるかというのをお聞きしたいんですけども。まずは明石先生と児玉先生にお聞きしたい。よろしくお願いします。

児玉龍彦:私どもから見ますと、先ほど申し上げましたように、放射線や何かを当てると、例えばp38というMAPKだとか、NF-κBというシグナル系の分子が動きます。それで、これは短期的には様々な効果をもたらしまして、それを健康にいいとか悪いとかいう議論は様々あります。しかし、こういう状態を長期的に続けますと、我々は慢性炎症と呼んでいる状態になりまして、慢性炎症は例えばガンの前提の条件になったり、様々な病気の原因になるということが、よく知られています。

山口:どうもありがとうございます。そうしますと、たいがいは放射線による害の方が、あるだろうという風にみなさんの意見をそう思いましたけれども、そうしますと、線量の問題が先程らい出ておりました。あとは内部被曝という話が出ておりましたけれども、まずは線量のところで、お聞きしたいんですが。明石先生、それから唐木先生等は、まあ大丈夫だと、安心できますよという話だったんですけれども。児玉先生の方から、ああいうお話があったんですけれども、唐木先生と明石先生の話はデータに基づいて出ていまして。埋もれて、ある程度低いところでは埋もれて、分からないところが出るんでしょうけれども、それ以降については有意な差があって出ているということがありましたけれども、それに対する何かご意見みたいなもの、児玉先生お持ちだったらお聞きしたいんですけれども。

児玉:放射線がですね、人間の遺伝子を傷害します。その時に人間には2万5千の遺伝子がありますが、一定の数のDNA修復に関係する遺伝子、DNAの保護に関わる遺伝子というのがあります。それで普通はこれがやられないとですね、低線量のものは大体問題なく修復されるということが分かっています。

 だけれども、先ほど例えばα線でやられてるP53だとか、それから我々最近ガンゲノムシークエンスというので肝臓ガンや様々なものを遺伝子配列全体を決定して、いわゆるドライバーミューテーションという最初にガンを作っていく方向に起こってしまう変異が、何で起こるかというのを研究しておりますと、例えばp53のような、最初のDNAを守っていたり、そういうところに関わる遺伝子を壊すと、ガンになるということが分かっています。そうしますと、実際には2万5000の遺伝子の中で、どこがやられるかということは、極めて確率論的になってきます。

 ですから一般に分かるのは、統計学的に非常に沢山の人を集めて、例えば後でチェルノブイリの時の甲状腺のように、最初はですね、多分長瀧先生の方がご存知だと思いますが、笹川財団で調べた時に、5万人ぐらいまで調べた時に、「有意な差がない」と言われたんです。ところがですね、それが今になってはコンセンサスとして「6000人の甲状腺ガンと15人の死亡例が生まれている」という風に変わってきています。

 私もともとですね、こうした問題に興味を持ちましたのは、自分はコレステロールの方が専門でして、コレステロールの薬を作る時にも、たくさんの論争がありました。それで私は医学者として今一番感じておりますのは、どこの線量が安全かという議論と、国の政治的な関わり方を分けていただいて、国は、要するにコレステロール論争の時に一番大事だったのは、「コレステロールを下げる薬をやって心筋梗塞が減るかどうか」という問題です。それで今日の厚生委員会でも考えていただきたいのは、学問論争に対して厚生委員会で結論を出したり考えたりする必要は、私はないと思っています。

 国民の健康を守るために、どういうことができるかという時に、まずセシウム137というのは、自然界には1945年以前に存在していないものです。原発と原爆で生まれて、それが1960年代の初めに水爆実験によってピークになったものであります。その時に猿橋勝子さんという女性研究者が、海水のセシウム濃度が100倍になっているということを、微量線量計で確認して、これでアメリカへ行って、その公開実験というのをフォルサム博士とやって、これが大気圏内の核実験禁止の大きな学問的根拠になりました。その後セシウムはずっと減ってきていたのが、またそれを遥かに倍する量に今上がろうとしている時であります。そうしますと、その線量議論の問題というよりも、元来自然界にないセシウム137というのが膨大にまかれて、ガンマカウンターで簡単に分かるような量に散らばっている。しかもそれが広島原爆の20倍の量まかれているという事態に対して、国土を守る立場から是非積極的な対応をお願いしたいというのが、基本的なお願いです。

山口:どうもありがとうございました。結論付けるつもりはないですし、県民、国民はどうしてたかというと、一番不安な、一番安全、一番危険なところを聞いて動いているというのが、今実態ではないでしょうか。だから、安全だと思って聞いていらっしゃる方もいらっしゃいますし、中には線量が少ないところであっても子どもを連れて県外に避難されてる方も沢山いらっしゃると思います。やはり不安でしょうがないと思うんですけれども。避難区域の住民が戻れる条件、いま避難区域になってますけれども、先生方で「こういう条件にしたら、避難区域に戻れるだろう」「今でも十分戻れるよ」という場合もあるでしょうし、先生方によって違うでしょうが、避難区域に戻れる条件を少し教えていただきたいんですが。ちょっと時間がなくてですね、聞きたいこと沢山あるので、簡潔にちょっといただければと思うんですけれども。どなたでも結構です。

児玉:私が一番申し上げたいのはですね、住民が戻る気になるのは、行政なり何なりが一生懸命測定して、除染している地域です。ですから測定も除染もなければ、「安全だ」「不安だ」と言われても、信頼できるところがありません。ですから、「この数値が安全」「この数値がどう」ということではなしに、行政の仕組みが一生懸命測定をして、その測定に最新鋭の機械を投じて、除染に最新鋭の技術をもって、そのために全力でやってる自治体が、一番戻るのに安心だと思います。

山口:どうもありがとうございました。もしですね、牛の基準であったり、お米、これから作物つくっていかなきゃならないし、果物の基準とかもありますけれども、今は厚生労働省で基準を作って、「これぐらい食べても5ミリシーベルト超えなければ大丈夫ですよ」という、先ほどお話があったかもしれませんけれども、農家で米を作るとかですね、果物を作るだとか、何かそういった作る段階での基準などはございますでしょうか。どなたかお願いできますでしょうか。

児玉:入り口の方で基準を決めるというのは、非常に厳しいと思っています。生物学的濃縮というのは、様々な元素が身体に入ると、トランスポーターとか結合タンパクというので、極めて特殊な集積の仕方をしますので。ですから、出てきた農産物をきちんと見るという仕組みを、徹底的に作っていかなくてはならないと思います。そうするとですね、やっぱりラインのような格好で、どんどんイメージとして、農産物が、量がチェックできるような仕組みが実際にはあるんですが、まだほとんどこういうものの測定に使われていませんので、そういうものを全国の産地に緊急に整備していかないと、今回の稲ワラのようにやっぱり想定外の場所での濃縮事件というのは、自然界では山ほど起こります。ですからやっぱり、出口の食物の出ていくところでのチェックというのを、緊急に物凄く良くするというのが大事になると思います。

吉野正芳(自民党):現地でもですね、各小学校単位ごとに、それぞれの専門家の先生方をお招きして、放射線の勉強会、本当に参加の数は何百人、小学校単位ですから何百人という方が、来るんですけども、何回やっても同じなんですね。ですから、これは本当にどうすれば不安を取り除くことができるのかなと。例えば私はですね、科学的なことでいくら説明しても、理解しても、自分の頭で理解しても、身体がついていかないという。こういう状況下に置かれていますので、もうその方は、避難できる方は避難してください。そしてそれに対する支援をしていく。避難できない方は、きちんと家庭での防護策と言いますか、それを我々政治の方はやるべきだなと私自身は思っているんですけれども、その辺はいかがでしょうか。あの、熱い児玉先生。

児玉:要するにあの、信頼感というのは言葉で説明を聞いて生まれるんではない、と思います。私も毎週南相馬に行っていますが、南相馬の例えば、方たちが本当に汚染してる学校や何かを案内してくれるのは、一回目じゃやっぱりないんですよね。そのだから、支援に来ている人がただ一回だけ来て帰っていってしまうのは、かえって問題をひどくするだけで、やっぱり本当に持続的にやっていこうとすると、一緒に測って一緒に考えて除染していく、避難されたい方は避難を応援する。そういうのがすごく大事ではないかと思っています。

 それで南相馬に行って、私どもが最初に言われたのは、やっぱりそのさっき言った、「線量の低いところから高いところへ、スクールバスで子どもが、千人超え移動させられている」ということで。それで実際に地域を見ても、ひとつの学校を見ても、さっきから「何ミリシーベルトだったら安全ですか?」という議論は、私現実味がないと思うのは、例えば2マイクロシーベルトの学校を測っていても、1カ所に行くと33マイクロシーベルトなんです。ですから、その時に一体何ミリシーベルトをその土地とするかという問題が出てきてしまいますから、やっぱり高いところがあったら、「必ず刈り取っていきますよ」と、「測って一緒にやっていきますよ」と、「不安があったら相談に乗りますよ」と、「農産物があったら最新鋭の科学機器を集めて、最高の検査メーカーが来てやりますよ」というような体制がない限り、安心できないというのが当たり前ではないかと。ですから今もとめられているのは、最高の施策が福島県民に与えられるように、国会で是非考えていただきたいということであります。

高橋千鶴子(日本共産党):ありがとうございました。最後に児玉参考人に伺いたいんですけれども、まさしく今日、内部被曝の問題がずいぶん話題になりました。また遠距離被曝ということも、いま沢田先生からだいぶ指摘されましたので、そういう観点でずっと除染作業もやってらっしゃる先生から一言うかがいたいと思います。

児玉:私、放射線取扱者に1977年になりまして、1995年から放射線取扱主任として、除染と規制に関わっております。それで今まで科学技術庁告示、平成12年から我々がやらされていたことを、ひとつだけご報告しておきます。それは、例えば妊娠可能な女子については、第5条4項で内部被曝を1ミリシーベルト以下にする。それから、第6条第3項、妊娠中である女子の腹部表面については、前項第4号に規定する期間につき、2ミリシーベルト。これを規制されてこの規制を守るべく、30年やって参りました。ところが、福島原発の事故で、広島原爆20個分の放射線が撒き散らされた途端に、このような基準がすべて反故にされている。

 先ほど福島県の議員から「どのようにしたら安心か」というご質問がありました。私は安全に関しては、基準を決めたら、危機になったら、それを変えていく格好では、ダメだと思います。いま今年できないかもしれないけれども、来年までにその基準に持っていく、再来年までにはこうするとうことがなければ、住民が安心できるわけがないではありませんか。そのためには最初から申し上げている通り、広島原爆20個分の、天然にないセシウム137を撒き散らした東電と政府の施策を反省し、これを減らすため全力を挙げる以外に安心できる解決などありえないのです。そのことを抜きにして、どこが安全だという議論をいくらやっても、国民は絶対に信用しません。

阿部知子(社会民主党):引き続いて、牛のセシウム汚染をはじめとして、今朝でしたか、腐葉土にもやはりかなり高濃度のセシウムがあるということで、単に牛だけでなく、及ぼす影響は全食品にかかわってきていると思います。また海への汚染もありますので、今後魚への汚染ということも避けて通れないと思います。その中で先ほど唐木委員のお示しいただきました参考資料の中にですね、例えば牛についてですけれども、全量、全体、全個体検査や抜き取り検査は、かなりこれは困難というか、不適切であるというような表現でありましたが、これも2週間ほど前、NHKスペシャルでやっておりましたベラルーシでの取り組みは、チェルノブイリ事故25年をたっても、各学校で子どもたちのミルクや野菜の放射性レベルを点検するということでございました。

 やはり私はここまで食品汚染がひろがってきた場合には、やはりなるべく口に入る身近なところで検査するという体制、それがどこまで身近にやれるかはまたあると思いますが、そうした考え方に立つことが重要ではないかと思いますが、この点について唐木参考人と、あと児玉参考人は先ほどラインの測定でずっとフォローしていくというような技術も、我が国の現状においては可能ではないかという風なお話でしたので、もう少しご披瀝をいただきたいと、各々お願いいたします。

児玉:今おそらくやられているのは、かなり旧式なやり方なんですが、ゲルマニウム半導体というので、周囲を6センチぐらいの鉛で遮蔽した中にモノを置いてやられています。それで今日、半導体の検知器というのは、かなり多数の種類が改良されておりまして、私が最先端研究支援でやっておりますのは、PETという機械でやっているのですが、PETで検出する時には内視鏡の先でも検出できるぐらいの感度の高いものを開発しております。それで、そういうのを集めていて、今やられているのはむしろイメージングに変えている。ですから、ゲルマニウムの半導体というのはスペクトラムを出して、長いスペクトラムを全部見るんですが、例えばセシウムに絞って、この線量を見るんであれば、半導体検知器の検出感度が今ずっと良くなってますから、画像型にすることが簡単にできています。

 それで、例えばその画像型のひとつのイメージみたいなものは、米軍から供与されてヘリコプターに載って地上の汚染(調査)をやるのに、いま色んなところで、今日あたりは茨城県をやってると思いますが、検知器で地上を写すようなものが、ずっとやられております。それで農産物を沢山やろうとする場合には、ライン化したところで多数のものをできる仕組みをやらなくてはなりませんから、イメージングの技術を基礎にして、半導体を集めたようなもののセンターを沢山つくって、流れ作業的に沢山やれるようにして、その中でハネるものをどんどんイメージで、こう画像上で、これが高いと出たらハネていくような仕組みを、これは既存の技術ですぐできますものですから、そういうものを全力を挙げてやっていただきたいと思っております。これを生産地にかなりのところ作る必要があると思っています。

阿部:私もいま先生が言っていただいたように科学は謙虚にあらねばならないと思います。そして先ほど児玉先生のお話で、チェルノブイリ膀胱炎と呼ばれるものが20数年たって初めて疫学的にも有意に出てくるということを見ると、やはり実は甲状腺癌も子どもの場合もそうでしたが、最初否定されておりましたから、きちんと科学はいつもその可能性を否定せずに向き合うと。最後に児玉先生にひとつお願いしたいと思いますが、アイソトープセンターこれは全国にございますが、これを今回の除染に活躍させるために何が必要かお願いします。

児玉:5月に全国のアイソトープ総合センター会議というものがありまして、そこで色いろ議論をしていた時に、文科省の放射線規制室の方が、おっしゃってたのは、「福島原発以来のRIは、RIではない」と。「我々は国民の健康に責任を持つという仕事をやっているのではなくて、法律に決められた放射線取扱者を規制することが仕事だ」という風におっしゃっていました。それで、ある面で私非常に違和感を感じたんですが、もう一方では例えば文科省の法律の規制室の方は、従来の規制に従ってやらざるをえない。それで、高い線量のものが少量あるということに対応した法律体系はありますが、低い線量のものが膨大にあるという、それをどう除染していくかということに関する法律がほとんどなくて、今も汚泥問題、その他すべて問題になっているのは、ここであります。それで、しかしながら現在の全国のアイソトープ総合センターなんかは、旧来の法的規制のまんまで何らのこれらの組織、例えば先ほどゲルマニウムの機械が足りないというお話がありましたが、そんなものは全国に沢山あります。ところが、そこへの持ち込み、持ち込んだ廃棄物の引き取り、こういうのが法律的にまったくない。

 だから今も東大のアイソトープセンターでやっているのは全部違法行為だと申し上げました。この場合にはセンター長である私と専任教官と事務主任の上で審査委員会を設けて、内部でチェックして超法規行為を勝手にやっているというのが現状であります。それでそういう法律を一刻も早く変えて、測定と除染というのに是非立ち上がっていただきたい。それなくして親の安心もないし、しかも先ほどから長瀧先生たちがおっしゃっている原爆型の放射能の常識というのは、これは原発型の常識の場合にはまったく違います。それから先ほどおっしゃいました、長瀧先生のおっしゃった一過性に核医学で治療をやるというのも、これも形式が違います。我々たとえば抗体にイットリウムをくっつけて打つと、ゼバリンという医薬がありますが、あれは一過性にもかなりの障害を起こしますが、それでもガン細胞をやっつけるためにいいからやっているということであって、正常者にこれをやることは、とても許されない。無理なものであります。

 それで、ですから私が申し上げたいのは、放射線総量の全体量をいかに減らすか、これは要するに数十兆円かかるものであり、世界最新鋭の測定技術と最新鋭の除染技術をただちに始めないと、国の政策としてまったくおかしなことになるんです。いま我々がやっている、たとえば幼稚園で除染します。除染して高圧洗浄器でやりますと、側溝に入ります。側溝をきれいにしています。しかしその側溝の水はどこへ行くかというと、下流の農業用水になっています。それでイタイイタイ病の時の経験は、カドミウムの除染を下手にやりますと、2次被害を引き起こします。ですから国の政策として国民の健康を守るためには、総量の問題をまず考えてください。緊急避難とひとつ、総量の問題ふたつ、これを是非議論よろしくお願いします。

柿澤未途(みんなの党):最後に一点だけ。児玉参考人におうかがいをしたいと思います。細野原発担当大臣が、すでに避難区域の解除と帰宅ということを、就任早々おっしゃられて、今度も無人ヘリを飛ばして現地の調査を行って、場合によっては早期に解除して住民帰ってもらおうと、こういう話が出てきています。しかしチェルノブイリの強制移住レベルを上回るような高濃度の汚染地域が、東京23区全体を上回る800平方キロメートルに広がっている中で、今の状況でこの非難区域を解除するということが、正当化されうるのかということを、児玉参考人にご見解としておうかがいをしたいと思います。

児玉:まずですね、20キロ、30キロの地域というのは、非常にまだら状になっています。それで南相馬、私が一番よく存じております南相馬の場合ですと、南北ではなくて東西に線量が違います。それで飯館村に近い方は20ミリシーベルト以上で、現在避難が開始されている地域。それでこちらの方は、海側の方は、それよりもずっと線量が低いところがあります。それでこうした場合には、自治体が判断した方が、今は20キロ、30キロ圏は、病院は休診、学校は休校ということが、一応指示となっております。それをやっぱり学校を開いて、一番低い線量のところで子どもが授業できるようにするとか、そういう判断は、やっぱり自治体の判断でできるようにした方がいいと思います。ですから今の線引きの問題という話よりも、実際にいかに子どもの被曝を減らしたり、地域を復興していくかという問題がまず1個あります。

 ただそこでもうひとつの問題は、地元で聞きますと、商工会や何かから、今は強制避難ですから補償が出ています。だけれども避難区域が解除されたら、補償がなくなってしまうということで、実際に私が南相馬に行っている間も、住民の中で非常に大きな意見の違いが生まれていて、見ていてとてもいたたまれない思いがいたしました。それで是非避難の問題と、それから補償の問題を分けて、それで先ほどおっしゃった避難の解除というのは、要するにどういう問題があるかというと、高い線量のところはこれは除染しないと非常に危険です。

 それで今そういう問題になっているのは主に年20ミリシーベルト以上の被曝を受けてしまう地域であると思いますから、そこに関しては引き続き強制的な避難が必要であると思っていますし、ここの地域をどう除染していくかということは、東電なり我々科学者なり日本政府がとてつもない十字架を背負っていると思います。そのことを住民の判断だけに押し付けるのは、とても難しい問題があると思っておりまして、20ミリシーベルト以上の地域に関しましては、やはり是非とも国でここの避難している人たちの生活の保障と、それから除染の努力をどのように詰めるかという見通しを、本当に必死に考えないといけないと思っています。

 それで20キロから30キロという現状の同心円が、それを正確に示しているかと言うと、今はそうではなくてむしろ地域復興の妨げになっている面がありますから、地元自治体との相談の上で、そこの地域のさまざまな行政、生活上の問題に関しては、子どもやお母さんが一番安心できるようなものにするということを一刻も早くやっていただきたい。それで細野大臣はある面ではそういう意見を反映している面があると思います。もう一方では、それを補償問題とどういう風に結びつけるかという議論がないと、やはりこれはもう一方で非常に大変な問題が生まれてしまいますので、やはり今は強制避難でないと補償しないとか、住民が被害を立証できないと補償しないというような格好は、もうマズいんではないかと私は思っております。▲

2011年7月8日金曜日

東日本の復興とエネルギー政策

これはある新聞に提出した提言である。刻一刻と事態はかわる。これをここに発表してよいのかわからないが、期限切れになってしまう前に、すこしでも多くの人に読んでほしいと思ったので転載する。
5月に書いた文章だが、基本的な内容は今のところ変わっていない。

 私は横浜で設計事務所を経営しながら、東北の大学で建築を教えている。毎週、大学のある山形と事務所のある横浜を行き来している。そうすると否応なく日本の中心である東京と地方が抱えるそれぞれの問題が見えてくる。そして、地方で起こっている様々な問題は東京でも将来起こりうる。現在、地方は流出人口が多く、急ピッチで人口減少、高齢化が進んでいる。いずれ、東京も同じようになる。その点で日本がどうなっていくのかとても気になる。2004年に、人口はピークを向かえ、すでに減少し始めている。2050年には8500万人ほどに減り、現在の65%程度となる。そのような状況のなかで、今回の震災は起こった。これから復興の絵を描くときにも、この前提は変わらない。日本が将来どうして行くべきか、どこへ向かうべきか論じていきたい。

■エコロジーについて
 いまから3年前、2008年。洞爺湖サミットで福田ビジョンが発表された。日本も低炭素社会を目指そうというものである。世間話をする延長で地球環境やエネルギー問題を専門とする同僚に「低炭素社会になったら、建築はどう変わるのか。」を聞いてみた。答えは至って簡単に「見た目の問題じゃなく、エネルギーの問題として、そりゃもう全然変わります。」との答え。まだ、ピンとこない。続けて「今の住宅は、どんどんエネルギーを使って、バンバン二酸化炭素を出しているけど、そんなんじゃ、石油がいくらあっても足らない。根本的に変わっていくんです。」「ドイツとかオーストリアではエコロジーを意識しながら、エネルギーをほとんど使わないかっこいい建物が建ってますよ。」と。また「日本にも、暖房がいらないような家を建てている建築家もいますよ。」と付け加えられた。
 そこで早速、秋田県能代の建築家のアトリエやオーストリアの最先端の住宅やプラントを見学に行った。秋田で見たのは、今にも雪が降りそうな曇天の冬のさなか、30坪程度のアトリエが小さな石油ストーブで十分に暖かくなっていた。十分な断熱がされ、エネルギーの出入りが少ないので、快適になるのだという。断熱材の厚さは20〜30cm。通常の約4〜5倍の量である。建築家の西方里美さんから「住宅は器の性能が大事である。」、「熱に関して、建築家はもっとちゃんと科学的に勉強しなくてはいけない。」ということを習う。家に大きな吹き抜けがあると、二階の気温が高く、一階の気温が低いということは当然のことだと思っていたが、それは間違いだと言う。もし、家が十分に断熱され内部と外部に熱のやり取りがなければ、そんな対流は起きない。家全体が一定温度になるということまで教わった。

■オーストリアの現在
 次に訪れたのはオーストリア。日本ではチロル地方などアルプスの沿いに国が位置する。そこでは何件かの住宅や地域を訪ねた。端正な木造の建物が美しい。美しいばかりではなく、暖房もバイオマスエネルギーを上手に使っている。オーストリアは石油ショックの後、徐々に対応してきた。ロシアからの天然ガスのパイプラインが政治的な問題でエネルギー危機になる可能性もある。そこで、森林に目を付け、バイオマスエネルギーの普及を進めた。いまでは、バイオマスエネルギーが全体のエネルギーの30%に近づいている。国からの政策的な後押しがあり民間でも導入しやすい。特に融資制度が充実していて、設備の半分を国が補助し、そのまた半分を銀行が融資し、個人が取り組む。実に四分の一程度で地域冷暖房が導入できる。もちろん、融資を返済した後は、個人の財産となる。その結果、個人のモチベーションはあがり普及が加速度化する。彼らに聞くと、「バイオマスの方が安いから、そっちをつかうよ。」とにべもない。オーストリアの状況は、林業が発達していて大きな製材所も数多くある。その廃棄物としてのエネルギーなので、当然コストは抑えられる。ショックだったのはボイラはオーストリア製なのだが、そこで使われているコンピュータ本体は日本製だ。デバイスをつくるのがうまくても、利用しなければ意味がない。また、地域暖房などでも、給湯管のパイプラインなどの道路の敷設で、日本では多くの費用がかかるが、地元の人は、特に誰に頼むではではなく、自らの手で敷設しているという。エネルギーシフトを成功させているオーストリアの社会と全然進まない日本の社会。森が多い点でも日本とあまり変わらない、第2、3次産業が盛んな点でも日本と産業構造的には似ている。オーストリアはここ10年ほどで大きく変わったという。

■木の可能性。 二酸化炭素の固定化、 エネルギー、森の再生。
 さて、最先端の住宅の材料はなんであろうか。答えは至ってシンプル。木造である。第一に木自体が二酸化炭素を固定化することで、エコロジカルである。
木はその生きている間、光合成をして二酸化炭素をその体内に固定化する。成長量より少なく木を切れば、二酸化炭素を固定化した木をどんどん増やしていける。また、他の材料と比べてもエコロジカルである。鉄やコンクリートは製造するときに大量のエネルギーが必要だ。鉄は溶鉱炉の熱、セメントは石灰岩を乾燥させるために大量の熱を使う。しかし、木は材料の運搬エネルギーがかかるだけだ。また木はエネルギーとして使ってもエコロジカルである。いわゆる薪である。今風に言い換えるとバイオマスエネルギーと呼ぶ。(ちなみに日本におけるバイオマスエネルギーは穀物由来ではなく、ほとんどが木材だ。)これらはほとんど二酸化炭素を出していないと計算していい。木を燃やすと二酸化炭素はでるが、木の生涯が貯めた二酸化炭素を放出していると考えられるので、その二酸化炭素は排出量として数えなくてよい。以上の3点から、木をエネルギーとしても使うべきだ。日本は世界でも有数の木材資源が豊かな国である。国土における森林率は67%(2002年)、岩手、秋田、山形、福島の4県は70%を超える。この森林率はバイオマスエネルギーの利用が盛んなフィンランド、スウェーデンに匹敵する。その森林は国内で外国産の安い材料が流通したのであまり手が付けられていない。むしろ、間伐など適切なメンテナンスがされていないくて荒れ放題である。森を再生するために手を入れなくてはいけない。

■日本の住宅
 日本では徒然草、吉田兼好の「住まいは夏を旨とすべし。」という教えが頑なに信じられている。冬は我慢できても、夏は我慢できないことを端的に言い表したものだが冷暖房がまったくない鎌倉時代の話である。現代はもちろん冷暖房があり室内の温度をコントロールできる。でも、住まいの器は昔の考え方のままである。それでは、エネルギーが無駄使いになってしまう。あまりにもったいない。ちょうど、日本の自動車がアメリカの自動車と競争をしていた時代を思い出してほしい。当時、日本車は大型だったアメリカ車に対抗し、小型車でアメリカ車に挑んだ。アメリカ車は大きく、重く、大量のガソリンを必要とした。そこに、日本車が小さく、軽く、燃費のよかった。徐々によさが認められ、アメリカ人も小さく燃費のよい日本車を求めるようになった。日本のメーカーは車を小さくすることで、必然的に燃費が向上しアメリカ車に勝ったのである。今の日本の住宅は、このときのアメリカ車に似ている。断熱性が低いので、冷暖房器具の能力を上げて、対応している。当然、エネルギーは無駄使い、冬には必要な部屋しか暖房しないので室内の各部屋での温度差が大きくヒートショックの原因にもなる。まるで、大きい車体に大型のエンジンを積んでいたアメリカ車とそっくりである。これらの話は実は沖縄以外、九州から北海道まで日本全国共通の問題である。どちらの地方も、冬になると最低気温は0度近く、そこから20度まで暖めるのにある程度のエネルギーを使うからだ。

■エコハウス
そういう状況のなか、大学の敷地に、エコハウスを建てる機会が得られた。もろもろ研究したことも踏まえて、3つの特徴のある建物とした。
1、山形の木でつくること
2、徹底した省エネルギー
3、自然エネルギーの活用
 前述とおり、木でつくることはエコハウスの第一歩である。特に仕上材は経年変化で狂うことを嫌って、様々なプラスチックや変化の少ない工業製品で置き換えられているが、積極的に木でつくることとした。また、エネルギーの無駄使いでは意味がない。徹底した省エネルギーとするために、断熱材を屋根にグラスウール400㎜、壁に300㎜設置した。開口部はトリプルガラスが嵌った木のサッシである。これらのことを対応すると、断熱性能があがって、エネルギーのロスが極端に抑えられる。木材豊かな東北の地なので、バイオマスと太陽光発電を併用させた。スペックは太陽電池 5kW、太陽熱温水器 30㎡登載。熱源としてペレットボイラを設置し、太陽熱温水器の水と混合して、暖房・給湯を行っている。
竣工して1年、年間を通じて売電量が多く、経済的な収支でもプラスとなっている。したがって、環境に対して、二酸化炭素を排出しないカーボンニュートラル(化石燃料を使わない)であるばかりではなく、あること自体でエネルギーを産んでいくプラスエネルギーの家であると考えられる。今回の震災時、山形ではまる2日間停電した。しかし、優れた断熱性能があったおかげで、電気が止まっても、その間、室温が18度から下がらなかった。断熱性能はた単なる省エネルギーだけではなく、停電などの災害にも強い。
 ヨーロッパでは2021年以降、すべての新築の工事ではカーボンニュートラルでなければならない。このエコハウスは法規制に準拠する。ヨーロッパでは標準だ。日本にはまず省エネルギーに関して義務化する法律はまだない。ただ、ストックが余り、業界が縮小していく建築分野ではメーカーやビルダーの間での性能の差異化が着々と進んでいる。
 高断熱の実現のために断熱材のコスト増は大きな問題ではない。建材の分野で、日本がおくれているのはサッシなどの建具周りの分野である。この気密がたらず、アルミサッシによる熱損失が大きい。メーカーによると今までは需要がないので対応していないと応える。法律などが整備されれば、たちまち高性能なサッシが出回るだろう。住宅の省エネルギー化により、電力量はかなり減らしていくことができる。一般の住宅だけではなく、公共建築の省エネルギー化もこれから必要な政策であろう。現在、日本の消費電力量のなかで家庭用が28.2%、業務用が29%となっている。住宅やオフィスのエネルギー節約は電力量の節約という点で効果的だ。一方、製造業(42.8%)の省エネルギーについては、よりい一層企業努力を促すために、ピークの時間をずらすことができることを促すような料金体系を望みたい。そうすることで、ピーク時の消費量が抑えられ、全体の設備のキャパシティ自体を抑えられる。

■大学のある山形の状況
 地方の都市がそうであるように、中心市街地の活性化の問題がある。郊外にショッピングセンターができることにより、中心市街地が空洞化する。そこで、大学の同僚や学生たちと残されている古い蔵の利活用をするプロジェクトを始めた。そうすると、一様に見えていた「まち」がいろいろな状態であることに気づく。単純に大型ショッピングセンターのまねをしようとしても太刀打ちできない。でも、独自性のある個性的なものは確実に人を集める。また、行政の縦割りも見えてくる。ある日のこと。「都市と地方を結びつけるために、農作物を中心市街地に集めて、観光客に振る舞ってはどうか。」というテーマのもと活動しようとしたが、まるでうまく行かない。農は農林課、中心市街地は商工課、都市との交流は観光課、実はセクションに分かれていて、どの課が担当するか見えてこない。本来、横断的なセクションがあるべきなのに、なかなかそうはなっていない。

■日本の将来
 日本が人口を減らしていきながら、豊かさを感じるためには、さまざまな価値観を変えていかなければいけないと思う。日本全体のGDPの伸びを競うのではなく、個人の所得の伸びを考えればよい。65%に減っていく人口に対して、GDPの伸びを論じること自体おかしい。人口減少社会において、今ある資産は有効に使われなければならない。たとえば、建築。既に十分な床面積を供給している。床の多寡ではなく、性能を充実化させるところに成長の余地がある。また、新しいエネルギー産業を起こさなくてはいけない。それは中央集権的なものではなく、分散型である程度、手間のかかるものであっていい。そうやって、雇用を産み出していく。それらはできるだけ今あるものをどう利用するかという考え方が必要だ。従来のように加工貿易型でモノを生み出すのではなく、技術そのものが価値になるような分野を開拓しなければならない。その代表的な例が自然エネルギーによる産業である。それらは分散型で地域に対して有効な産業となる。自然エネルギーには現実的なものとして、太陽光発電、風力発電、バイオマスエネルギーによる熱供給および発電などがある。まず、日本全体の問題として、エネルギーをどう考えるのかを決めていかなくてはいけない。現状と同じ量を今までと同じように使い続けることはどうみても合理的には思えない。技術革新をしながら節電をして、トータルの量を減らす努力をする。日本の自動車の燃費が向上したように、様々な分野で徹底して行う。また、人口の減少に合わせて、必要なエネルギー自体を抑えていくこともひとつの提案であろう。そのために現在どこでどのくらいのエネルギーが使われているか「見える化」する必要がある。そして、数値目標化し、具体的に電力のあり方が議論できるようにするべきである。また、お互いの電力を融通できるように、送電網を国有化し、日本版スマートグリッドを早急に押し進める必要がある。もちろん、周波数の問題は真っ先に取り組むべき課題である。加えて、送電網の国有化とともに、自然エネルギーへのシフトを積極的に進める政策を行う必要がある。
 さて、原子力発電に関して安全の確認を行いながら、しばらくは使い続ける必要があるだろう。しかし、そこでの安全や管理は今までと同じであってはならない。福島の事故は今の枠組みで起こってしまった。やはりそこに改善の余地は大いにある。安全基準の見直し、再確認に関しての第三者機関の設置も重要と考える。
 そういった長期的な日本の国としてのあり方、エネルギーのあり方を論じながら東日本の復興計画を位置づけたい。国が目指すべき姿、そのためのリーディングプロジェクトとしての復興計画である。

■沿岸型(三陸の市町村)
いずれの復興も人口の減少エリアの場合、ただ単に補償しても、人口が減る限り、町や村の将来はない。たとえ地震や津波がなかったとしても都市の統廃合が進んでいただろう。それを前提として、地元を活性化するには、人々が移り住みたくなるような魅力あふれる産業が必要だ。これが自然エネルギー特区によるエネルギー産業であり、第一次産業である。
 エネルギーの種類は、太陽光発電、太陽熱エネルギー、風力エネルギー、バイオマスエネルギーである。津波に襲われた地域では、あるコンセンサスが必要だ。そこにとどまるか移住するかである。私は後者を薦めたい。だが、どうしても沿岸部に残さざるをえない施設がある。その場合、 ある区間ごとに避難用のタワーをつくり、安全を確保したい。おそらくコンクリート造4階建て。一、二階は波が来ても抵抗がないように柱だけにして、その上に仮設的な事務所などをつくる。
 一方で、住民が住むのは高台を切り開き、コミュニティごと移住する。大事なのはコミュニティ全体でという点。阪神淡路大震災では、高齢者を優先的に入居させたことでコミュニティが分断し、孤立化した高齢者が孤独死していったことを忘れてはならない。
 そこでは、様々なエネルギープラントのテストを行い、住民はモニターとなる。建築は高断熱高気密として、断熱性能をあげ、少ないエネルギーでランニングできるような木造の低層建てとする。エネルギーを多く使わないライフスタイルをめざす。ここは、エネルギーに対して完全自立型をめざすので、現行法規の規制を超えた特区として、新しい実験の場としつつ、住民には快適で安価な生活を保証する。いくつかのエネルギーを混在させ、将来に向かって最適化していくようなシステムとする。電気は太陽光発電と燃料電池の併用。燃料電池は従来だと多くのお湯ができてしまうが、それとバイオマスのボイラを併用して、各戸へ地域暖房を敷設して共同でつかう給湯システムとする。また、風力発電の安定化につとめるため、蓄電池の性能実験を行う。同じ岩手県の葛巻町などは電力自給率が100%を超えている。こういった取り組みを、復興支援として後押しするのだ。
 
■都市型(仙台、石巻)
ここでも同じような展開が考えられるが、特区のあり方として、住宅が集合した状態でのエネルギーのあり方を考えるのが望ましい。集合住宅はエネルギー的には、効率的になるのでより有利になる。これは、東京などの都市部への応用を前提に考えていく。高い断熱性はもちろんのこと、自然エネルギーを積極的に使う。特に給湯やゴミ焼却などの都市的な生活資源をエネルギーの材料として扱う。建物は3〜4層の中層として、屋根には太陽電池を設置する。化石燃料とバイオマスのハイブリッドシステムを利用する。
また、電気料金の払い方を住民の意志によって、発電所の形式によって選択できるようにする。

■原発避難型(福島の市町村)
住民が現地に戻れるのが最良の方法だと思うが現状で直ちには判断できない。財産の保全は当然として、コミュニティを保ちながらの、一時的な避難場所を県外あるいは県内に探してみる可能性はないだろうか。そこではもちろん農業や林業に携わりながら、自然エネルギーのプロジェクトに参加する。

いままで、エネルギーのことを中心に論じてきたが、忘れてはいけないことがある。それは日本人の心、自然に対する世界観である。日本人は自然に対して、四季の違いを意識し、その景色を愛してきた。そういう風景は保全されるべきである。一方、ロードサイドの郊外型の店舗の看板など、本来ないほうがいいものが多くある。この復興にあたって、この沿岸部の風景をそういった視点でコントロールしたら良い。理由は2つある。一つは外部的な視点から。これらの復興プロジェクトは、リーディングプロジェクトであることから、それ自体を観光資源としたい。地震や津波のことを考え、これからの日本のプロジェクトの象徴的存在としたい。もう一つは内的な「こころ」の問題である。看板や建物の景観は、原則経済活動を妨げない範囲で行われてきた。ただ、震災によって本当にあるべき姿は何か常に考えさせられる。経済活動を推し進め、突き詰めた結果が地震を自然災害としてだけではなく、人災も加わった複合災害にしているように思えて仕方がない。ここはひとつ、本来あるべき姿、景観、景色を考えるべきではなかろうか。
 
以上、私のエネルギー政策は、自然エネルギーへのシフトを前提に、そのリーディングプロジェクトとして、震災の復興を考えた。現在の日本を復興させていく方法はそれほど簡単ではない。しかし、国がある方向に向かっていくためには、国民すべてが納得できるようなプランが必要だ。エネルギーに対して技術で答えていくことが日本の採るべき道だと思う。

2011年7月4日月曜日

「非現実的な夢想家として」

村上春樹さんのカタールニャでの「非現実的な夢想家として」と題したスピーチの全文を掲載します。


 この前僕がバルセロナを訪れたのは、2年前の春のことでした。サイン会を開いたとき、たくさんの人が集まってくれて、1時間半かけてもサインしきれないほどでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性読者が僕にキスを求めたからです。僕は世界中のいろんなところでサイン会を開いてきましたが、女性読者にキスを求められたのは、このバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがよくわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい都市に、戻ってくることができて、とても幸福に思います。
 ただ残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転がわずかに速くなり、1日が100万分の1.8秒短くなるという規模の地震でした。
 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後に襲ってきた津波の残した爪痕はすさまじいものでした。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ遅れ、2万4千人近くがその犠牲となり、そのうちの9千人近くはまだ行方不明のままです。多くの人々はおそらく冷たい海の底に今も沈んでいるのでしょう。それを思うと、もし自分がそういう立場になっていたらと思うと、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せてしまった町や村もいくつかあります。生きる希望をむしり取られてしまった人々も数多くいらっしゃいます。
 日本人であるということは、多くの自然災害と一緒に生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になります。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。それから各地で活発な火山活動があります。日本には現在108の活動中の火山があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、4つの巨大なプレートに乗っかるようなかっこうで、危なっかしく位置しています。つまりいわば地震の巣の上で生活を送っているようなものです。
 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震は予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これがおしまいではなく、近い将来、必ず大きい地震が襲ってくるだろうと言うことです。この20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの巨大地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは1年後かもしれないし、明日の午後かもしれません。にもかかわらず東京都内だけで1300万の人々が、普通の日々の生活を今も送っています。
人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで仕事をしています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 どうしてか?とあなたは尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?
 日本語には「無常」という言葉があります。この世に生まれたあらゆるものは、やがては消滅し、すべてはとどまることなく形を変え続ける。永遠の安定とか、不変不滅のものなどどこにもない、ということです。これは仏教から来た世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し別の脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても無駄だ、ということにもなります。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
 自然についていえば、我々は春になると桜を、夏には蛍を、秋には紅葉を愛でます。それも習慣的に、集団的に、いうなればそうすることが自明のことであるかのように、それらを熱心に観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば人々で混み合い、ホテルの予約をとるのもむずかしくなります。
 どうしてでしょう?
 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。私たちはそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そして、それらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さなひかりを失い、鮮やかな色を奪われていくのを確認し、そのことでむしろほっとするのです。
 そのような精神性に、自然災害が影響を及ぼしたかどうか、僕にはわかりません。しかし私たちが次々に押し寄せる自然災害を、ある意味では仕方ないものとして受けとめ、その被害を集団的に克服していくことで生きのびてきたことは確かなところです。あるいはその体験は、私たちの美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けました。普段から地震に馴れているはずの我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ抱いています。
 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて僕はあまり心配してはいません。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は補修できます。
 考えてみれば人類はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。ここに住んで下さいと地球に頼まれたわけではありません。少し揺れたからといって、誰に文句を言うこともできない。。
 ここできょう僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった6基の原子炉のうち3基は、修復されないまま、いまも周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、海に流されています。風がそれを広範囲にばらまきます。
 10万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。ペットや家畜もうち捨てられています。そこに住んでいた人々はひょっとしたらもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりでなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなるかもしれません。
 どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因は明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことがあり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。どうしてかというと何百年に一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するはずの政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節があります。
 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族のようです。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させることにはあまり得意じゃあない。そういうところはバルセロナ市民のみなさんとは少し違っているかもしれません。しかし今回ばかりは、さすがの日本国民も真剣に腹を立てると思います。
 しかしそれと同時に私たちは、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないはずです。今回の事態は、我々の倫理や規範そのものに深くかかわる問題であるからです。
 ご存じのように、私たち日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という2つの都市が、アメリカ軍の爆撃機によって原爆を投下され、20万を超す人命が失われました。そして生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていきました。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものか、私たちはそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。

核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。
今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。
どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。
 原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。
 まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。
 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 「大統領、私の両手は血にまみれています」
 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
 しかし言うまでもないことですが、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 私たち日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の個人的な意見です。
 私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求するべきだったのです。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、私たちの集合的責任の取り方となったはずです。それはまた我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。
 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは私たち全員の仕事になります。それは素朴で黙々とした、忍耐力を必要とする作業になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなが力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。
 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません。それは私たち全員が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人を励ます律動を持つ物語であるはずです。
 最初にも述べましたように、私たちは「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きています。大きな自然の力の前では、人は時として無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、そのような危機に満ちたもろい世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も私たちには具わっているはずです。
 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけることは、僕にとって大きな誇りです。私たちは住んでいる場所も離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつ私たちは同じような問題を背負い、同じような喜びや悲しみを抱く、同じ世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られるということも起こります。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることをとても嬉しく思います。
 夢を見ることは小説家の仕事です。しかし小説家にとってより大事な仕事は、その夢を人々と分かち合うことです。そのような分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 カタルーニャの人々がこれまでの長い歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、独自の言語と文化をまもってきたことを僕は知っています。私たちのあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
 日本で、このカタルーニャで、私たちが等しく「非現実的な夢想家」となることができたら、そしてこの世界に共通した新しい価値観を打ち立てていくことができたら、どんなにすばらしいだろうと思います。それこそが近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、ヒューマニティの再生への出発点になるのではないかと僕は考えます。
 私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてもなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。
 最後になりますが、今回の賞金は、全額、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そしてまた先日のロルカの地震で犠牲になった人々に一人の日本人として深い哀悼の意を表したいと思います。
 

2011年6月5日日曜日

現時点での原発、エネルギー問題に関して

まずは、原発の安全基準を見直すべきだと思っています。
 福島が安全基準に適っていたのだとすれば、それが壊れている時点で基準の見直しが必要だと思います。まず、基準を公開し、広く意見を求めるべきだと思います。

原発は大きな利権の固まりです。

東京電力=経産省(官僚)=政治家は利権で結びついています。安全基準を甘くし、冷温停止装置をはずし、いままでうまく行っていたんだから、これからも大丈夫。と考えていた。でも、そんなにうまく行かなかった。というのが今回の事故です。でも、彼らは今でも原発を推進しようとしています。政治家は政治献金が欲しいし、官僚は天下り先が必要だし、経産省も独占的な事業は続けたいのです。だから、まだ原発をエネルギーの基軸にと言っている。

菅さんが、毎日のように原発のことで、ふらふらしているように見えます。例えば、浜岡を止めると言った後に、他の原発は止めないと言ったりする。エネルギー基本計画を見直すといった後に、不信任案の話になる。これは管さんが脱原発しようとすると反対勢力が巻き戻して、なにか言わされている。とのいう風に考えるのが自然だと思います。
菅さん自身の問題も多々ありますが、原発に関しては、評価していいと思います。

アメリカが言ったにしろ、原発を止めたら、支持率が上がったことを菅さんも意識していて、そちらの方に舵を切ろうとした。それで、原発推進派は退陣させるため、不信任案に走ったのです。野党は本来は不信任案に大義名分、管がだめなところを指摘して、新しいオルタナティブを提示すべきでした。でも、あまり大きな大義がない。あるいは、さすがに「原子力をやりたい」とは今は言えない。
でも、ちゃんと機能している。例えば、いま地下原発の推進派という超党派の委員会がある。それが代表的な例です。もちろん、鳩山さんとかも入っている。

ですから、今のままではいくら事故の調査や管理がはいってもあまり大きな進展はいない。どうするか現在は犯罪者(作為的にそうなったかどうかは別)が犯罪の原因究明して、裁く状態にあります。それは防がなくはいけない。でも、組織的なものまで追求するのは無理かもしれない。でも、原発推進派の政治家を次の総選挙で選ばないという選択は国民はできます。そうやって意志を示すしかない。また、それが大きな流れになれば、今いる老害と言われる政治家たちを一掃できます。

さて、原発は本当に必要かという議論がないのは片手落ちです。
やはり、私は実感として必要ないと確信しています。あまり、言い切りたくもありませんが、やはりいくつかの点から必要ないと思っています。
一方、「原発がないとだめだ。」という意見は、原発推進派から発せられた、原初推進のためのメッセージだということに気がつくべきだと思います。。端的な例を挙げれば、東海村の処理施設の問題があったときに、稼働中の原発を全部一回止めたけど、特に問題はなかったということがあげられます。それが一つ。

まず、電気は1/4が家庭用、3/4が事業用です。今年の夏はメーカーが変則的なシフトを組んでピーク時にできるだけ、営業しない努力を使用としていますが、それを実体的に制度的にするような仕組みにすればよいのです。例えば、ピーク時になると電気代が高くなるようにすればいい。そうすれば、ピークは抑えられます。でも、そういう話にならないのは、そういうことで解決してしまうと、原発が必要という論理にはならない。ということが経産省や電力会社にとって不都合なので、やらないと言えます。

中期的にはこれから原発が老朽化していくときの更新の問題があります。福島でも老朽化していたのを動かしていて、壊れたのですから同じような年代の原子炉は廃炉になります。結果的にはこれは減っていくのです。

さて、日本には自然エネルギーの点で、すぐれた技術がいくつもありました。太陽電池は当初、日本のものがダントツで一位でしたが、あれよあれよとドイツ、スペインに抜かれました。いまは中国、韓国、アメリカにも抜かれて、結果7位になっています。これは原発を推進する電力会社が政府に圧力をかけ、補助金の制度を取りやめた点です。また、送電分離も同じようにつぶされてしまい。スマートグリッドもいまだ、実現していません。
一時期、はやった周波数の統一の問題も、政府が決めればいいのです。これは、国家的な安全保障の問題です。

果たしてうまく行くかは先進国の事例をちゃんと学ぶべきだと思います。ドイツやオーストリア、スペイン、北欧の国々。日本の技術はすごいと自分で信じていますが、そう思っていて、慢心してしまったと思います。慢心しているから、素直に人に学ぼうという気持ちはなくなってしまった。これはすごく残念なことですが、まだ間に合うと思います。そこから見ると、ドイツなどは自然エネルギーの発電量が10年で10%という勢いで増えています。主には、太陽電池と風力です。それをやっていけば、日本もできないはずはありません。

さて、1/4の家庭用の電力に関しては、住宅からでるエネルギーをどんどん減らしていくべきだと考えています。実際、エネルギーという観点で、住宅を見た人はあまりいないのかもしれませんが、実に無駄が多い。また、多くても大丈夫な社会的な仕組みが出来上がっていて、それだから無駄使いしているという点もあります。まずはそこを変えないといけないと思います。原発があって、贅沢でも危険。というエネルギー手段をとるか。原発なしで、節電。危険なしという選択をとるかということです。
持論として、エネルギーが少なくても、快適性は損なわない住宅をつくることは技術的にできます。ちょっと断熱材を多くし、窓を高性能にする。その上で、日射や通風を活かした住宅にすればいいのです。そうして、新築はもちろん、改築したものもエネルギーを出さなくすることが実際に可能です。具体的には新築住宅にもエネルギーを使わないような省エネルギー性を義務づければいいわけです。ヨーロッパでは2020年頃をめどに、すべての建築をカーボンニュートラルにすることで法制化の準備が進んでいます。
ですから、これに準じるようにしていけばいいわけです。日本の技術をもってすれば問題なく追いつけると思います。

あと、見落とされがちなのが、人口減少の問題です。あと、40年経つと日本の人口は8500万人ほど、現在の65%にまで減ります。そこに現在と同じエネルギーが必要とも思えないのです。この効果はおおきいです。ただ、この問題はエネルギーだけではなく、他のいろいろな問題ともリンクしているので、すこし、別の問題です。

さて、ここまで書いてきて、未来はともかく現在どうするのかという問題にぶちあたります。まずは、福島の事故の補償の問題。何人もの人が言っていますが、高速増殖炉などのまだ使えない(2050年以降)技術に投資するのを一度やめて、補償費にまわしたらいいと思います。そして、東北の復興には自然ネルギーの特区にして、日本全国に先駆けて、投資をすべきと考えます。これが非常にいいのは、投資した後は、自立的にうまく回っていくと思われるからです。メンテナンスが雇用を産み、利潤がでれば再投資ができます。化石エネルギーとちがうのは、支払ったお金が戻ってくる点が大きく違います。化石は産油国にお金がいってしまうが、地方に投資された分は産業になります。

さて、こういった事態にどう対応するか。
こんな状態どうやれば変えられるか、 よく人に聞かれます。

まずは。

・情報がちゃんと流れるようにしなくてはいけない。
・その上で、自分だったらどうするか考えて、声を出さなくては行けない。

だと思います。

情報がないことで、いろいろなことを信じ込まされたりしているのが現状だと思います。
だから、twitterとかで信用できそうな人の情報をどう取り入れるかが大事だと思っています。いくつかの場所の情報を多角的に見ると、間違いにくいと思います。情報をどう使うというリテラシー(能力)の問題だと思いますね。たとえば、福島県の小学校、中学校のグランドの放射線量の計測の問題はいい一例です。グラウンド20mSv/年 問題は父兄たちの願いでなんとか、文科省は1mSv/年を目標にしました。でも、経産省は相変わらず、そのままです。そのように、なにかおかしなことを言われたら声を上げなくてはいけないんだと思います。多角的な情報をどう取り入れるかは訓練がいると思います。



 

2011年6月3日金曜日

亀や 雲の中のような空間

夕日の眺めがすばらしい湯野浜温泉 亀やで東北芸術工科大学の学生が中心になって、部屋の一室を改装しました。学生は6人ぐらいのチームで。監修は馬場正尊さんと私。副手の古川さんが実施設計を手伝いました。グラフィックは大学の中山ダイスケ。ベッドの枕元にあるクッションは安東陽子。総合ディレクションは吉村靖孝さん、プロデューサーは小松裕行(KKHK)。

HOURAIを雲のような空間として、ふわふわしたものをつくろうというのがコンセプト。


視界を広く取れるようワイドフロンテージに。最大の幅の窓。


窓の外はあいにく曇り空。


ベッドスペース。NUNOの安東さん製作のクッションカバー。

  

カスタマイズされたフレーム

さて、すっかり報告が遅くなってしまいましたが、山田町その後です。町役場の小原さんによると設営した次の日に、春一番が吹いてそれまで使っていたテントが飛んでしまったそうで、設営はベストタイミングだったと聞きました。
もともとニコニコフレームは間仕切り用に考えられていて、建具とかがついていません。木造なので、加工もしやすく、とにかく、シェルターとしてのかたちをつくることを優先しました。ある意味、未完成、またはカスタマイズする余地があると言えます。
私たちがフレームをつくったあと、町の大工さんがいろいろ工夫してくれ、いろいろなカタチに発展しています。

フレームのかたち

テントの布地で防水が強化され、窓がついた。風で飛ばないよう、ロープで固定されている。

炊き出し場として使われている。棚や照明も一工夫。
アプローチも工夫され、庇や床もすのこで。

ホースリールを利用したシンクの水栓。うなるディテールである。

まったくちがったファサードの展開も。これはもう一台のバリエーション。

2011年5月7日土曜日

ニコニコフレームの報告

ニコニコフレームの組み立てを岩手県山田町で行いました。
ニコニコフレームは以前も紹介しましたが、素人でも簡易に組み立てられる木造のフレームユニットです。
間口2.5mx高さ2.5mx5mです。なぜこの大きさかというと、トラックに乗せられる最大の大きさだからです。

設計はパッシブハウスジャパン代表理事で東北芸術工科大学客員教授の森みわさん、同准教授の馬場正尊さん、そして私です。3月に学科の課題を相談するために集まったのですが、被災地になにかできないか話しているうちにまずはつくってみようと言う話になりました。
そこで、東京の外苑キャンパスでまず組み立てたのが始まりです。
そこでは2週間展示をして、さて、本番です。

当初は室内間仕切りを考えていましたが、どうやら室外でも行けそうだと屋根や床のおさまりを考えたのが、version2です。

宮崎の川島木材がつくっていますが、別に汎用的な技術なので、他でもつくれる可能性はあります。でも、原段階では、宮崎でつくるのが決定的に安価にできています。屋外型ユニットで26万円、フレームのみで19万円です。この価格は震災地応援価格なので、一般にはもう少し高くなります。一般の仮設住宅が350万円と比べると破格に安いこともわかります。宮崎はさすがに遠いので、運搬費がおそらくネックになるだろうと思われます。あるいはまとめて発注して一気に運ぶと良いのかもしれません。

さて、今回の山田町へ3棟寄付しました。山田町の沿岸部は津波に襲われていて、沿岸部は壊滅的な状態でした。避難所になっている体育館の炊事場がなくテントで行っていたのを衛生的に問題があると、スーパーハウスのような建物がほしいとの連絡を、現地でボランティアをしている学部4年生の菅谷くんからもらったのがきっかけです。

山田町の様子

私たちが伺ったのは山田町南小学校で、体育館の横と保育園の前に2棟建てました。
まずはみんなでミーティング。




さて、記号にあわせて並べていきます。


そして柱と土台をつなげる。


ピンをさして、トンカチでたたくだけ。誰でもできます。私はときどき空振り。地元のおじさんにまかせることに。


続いて床組み。床は杉の台形集成材。厚さが50mm


大引(小梁)を並べます。


床は杉の台形集成材50mm。


床を張ったら、上の方を固めます。


昇り梁をかけていきます。


屋根材は杉板20mm。乗ってもこわくない安定感。釘うちをしているのは私。



いよいよできてきました。屋根にはタイベックシートを張ります。

もう一台は保育園の前。場所が変わっても、施工性の良さはばっちり。



私たちは2台で時間切れ。3台目は翌日、町の人につくってもらいました。
2軒が終わった時点で内部に入りました。木の香りがとてもいい感じの空間です。



興味のある方、ご連絡ください。
メールの場合はこの返信フォームに。
あるいは、電話での問い合わせは山形エコハウス 亀岡まで。0236-73-9518(10:00〜16:00)

ニコニコフレームの報告

ニコニコフレームの組み立てを岩手県山田町で行いました。
ニコニコフレームは以前も紹介しましたが、素人でも簡易に組み立てられる木造のフレームユニットです。
間口2.5mx高さ2.5mx5mです。なぜこの大きさかというと、トラックに乗せられる最大の大きさだからです。

設計はパッシブハウスジャパン代表理事で東北芸術工科大学客員教授の森みわさん、同准教授の馬場正尊さん、そして私です。3月に学科の課題を相談するために集まったのですが、被災地になにかできないか話しているうちにまずはつくってみようと言う話になりました。
そこで、東京の外苑キャンパスでまず組み立てたのが始まりです。
そこでは2週間展示をして、さて、本番です。

当初は室内間仕切りを考えていましたが、どうやら室外でも行けそうだと屋根や床のおさまりを考えたのが、version2です。

宮崎の川島木材がつくっていますが、別に汎用的な技術なので、他でもつくれる可能性はあります。でも、原段階では、宮崎でつくるのが決定的に安価にできています。屋外型ユニットで26万円、フレームのみで19万円です。この価格は震災地応援価格なので、一般にはもう少し高くなります。一般の仮設住宅が350万円と比べると破格に安いこともわかります。宮崎はさすがに遠いので、運搬費がおそらくネックになるだろうと思われます。あるいはまとめて発注して一気に運ぶと良いのかもしれません。

さて、今回の山田町へ3棟寄付しました。山田町の沿岸部は津波に襲われていて、沿岸部は壊滅的な状態でした。避難所になっている体育館の炊事場がなくテントで行っていたのを衛生的に問題があると、スーパーハウスのような建物がほしいとの連絡を、現地でボランティアをしている学部4年生の菅谷くんからもらったのがきっかけです。

山田町の様子

私たちが伺ったのは山田町南小学校で、体育館の横と保育園の前に2棟建てました。
まずはみんなでミーティング。




さて、記号にあわせて並べていきます。


そして柱と土台をつなげる。


ピンをさして、トンカチでたたくだけ。誰でもできます。私はときどき空振り。地元のおじさんにまかせることに。


続いて床組み。床は杉の台形集成材。厚さが50mm


大引(小梁)を並べます。


床は杉の台形集成材50mm。


床を張ったら、上の方を固めます。


昇り梁をかけていきます。


屋根材は杉板20mm。乗ってもこわくない安定感。釘うちをしているのは私。



いよいよできてきました。屋根にはタイベックシートを張ります。

もう一台は保育園の前。場所が変わっても、施工性の良さはばっちり。



私たちは2台で時間切れ。3台目は翌日、町の人につくってもらいました。
2軒が終わった時点で内部に入りました。木の香りがとてもいい感じの空間です。

ニコニコフレーム

2011年4月17日日曜日

たくさんRTしてもらって考えたこと

いろいろ考えさせられました。

140文字ではとても答えられないのでブログに書きます。
もしよかったら見てください。
この映像http://bit.ly/90Jyrx の出典は「東京原発」(2004)という映画の一部です。

こんな返信をもらいました。一部を紹介します。

■おそろしい。もう手遅れか。
■じゃあ、どうすればいいのいうのか。
■必要悪だからあってもしかたない。
■嘘か本当かとか0か百かじゃなくてどんなもんにもリスクはある。そもそも絶対安全なんてものがありえない。だからそのリスクとメリットを天秤にかけて判断すべきもんだし、リスク低減のコストとの比較で判断すべきものです。判断の前提、認識が間違っています
■たかがyoutubeの動画一つでコロコロ意見を変える様な人間が政府にいたらとっくに日本は潰れている。 まともな人間は頭ごなしに廃止、賛成とネット中で騒ぐ低脳の喧嘩には関わらない。「管理できない物は数を減らすという」意見が正解 
■今の時代、原発で我慢するのが嫌なら、電気を使わないしかないな…
■動画について。原発反対派の典型的なプロパガンダに見える。出てくるデータとか電力供給の話の根拠が一切無い。原発推進の内容でほとんど同じような動画ができると思われ。
■賛成派というか、否定しない人の中には「ではどうするのか」を考えて、現時点での全否定はできないと考えている人もいるのではないでしょうか。二極論では、少し乱暴な気もします。
■これが正しい情報だとしても、原発は必要な物ですから…。今から耐震工事しましょうか。
■ でも原発をやめて火力や水力に頼ろうとする場合、エネルギ争奪戦に更なる拍車をかけるのでは? 仮に争奪戦に勝てたとしても、それは途上国の発展を阻害し、さらなる格差をうみ...(−_−;)

データで示してほしいという意見に関しては、私は専門家ではありませんが、環境エネルギー研究所の飯田哲也さんのホームページを参照にしています。最近はよくインターネットの番組で原発の構造の話をされてますが、もと原発の開発をされて、いまは、自然エネルギーに関して、さまざまな提言をしている方です。

鎌仲ひとみさんの映画「ミツバチの羽音と地球の回転」というドキュメンタリー映画にも出演してます。このドキュメンタリーは現在もいろいろなところで上映されていますし、自主上映もできます。バランスのよいいい映画だと思うので、エネルギー問題に興味のある方は必見です。ちょっとネタバレすると、上関原発に反対する祝島の人たちと中国電力のやりとりとスウェーデンの原発廃止とその後の自然エネルギーの発展をパラレルに描いたものです。
http://888earth.net/index.html

飯田哲也 環境エネルギー研究所
http://www.isep.or.jp/about_message.html

311後のエネルギー戦略ペーパー
http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110323.pdf

自然エネルギー白書2010要約
http://www.re-policy.jp/jrepp/JSR2010SMR20100514.pdf


私は現在、原発をすべて停止したいと思っていますが、順番があるとしたら、まず、浜岡、もんじゅ(いま停まっているらしい)です。理由は簡単。これらに地震がおこって、なにかあったら、本当に日本が本当にだめになってしまうかもしれないと思うからです。

さて、いくつかのレベルの意見について書きます。

■「どうしたらいいか、代替のエネルギーがあるのか」という質問に関しては、自然エネルギーがあると言えると思います。
主な内訳は、太陽光40%、風力40%、バイオマス10%、地熱など他10%があると思います。これは飯田さんの受け売りなので、そちらを見てください。いずれにしても、節電は必要だし、いろいろな工夫も必要になります。建築もいろいろ変わらなければいけないところもあります。
 私が直感的に自然エネルギーでいけるのではないかと考えているのは、一昨年、オーストリアに行って、その事情をある程度見てきたからです。化石エネルギーにたよらず、バイオマスなどの自然エネルギー率は30%近くなっていました。オーストリアはロシアなどに天然ガスのパイプラインを頼っており、石油ショックの際に国の安全保障を考えるために、20年くらいかけて、薪を燃料としたバイオマスがだんだんと盛んになってきた。簡単にいうと大きなボイラを燃やして、地域暖房をしている。その余熱で発電したりしてどんどんエネルギー自給率があがっている。そういうことを日本でもできると思います。ところがいまちょっと勘違いもあって、今、日本ではその燃料を目的にしている。それでは本当はだめで、林業や産業とセットにして、そこでの余剰物としてのエネルギーにしていかなくてはいけない。そういう点がうまくいけば日本でも、特に東北では林業が盛んなので可能性がたくさんあると思うのです。



■必要悪だ。ない前提でなど考えられない。という方たちへ。
いまの状況は、日本という国のシステムを信じている人には酷なものだと思います。なぜなら、まさかここまで悪くないだろう。と考えられるよりかなりひどいものだからです。さまざまな対応、海外からの反応、いずれも日本をいままで発展させてきたシステムが機能していません。国が発表している様々な情報が嘘だったということですが、にわかに認めがたいことだと思います。でも、この国は同じことを過去に経験しています。第2次世界大戦の敗戦です。大本営の発表が嘘で戦争をおこし、尊い人命や財産が失われました。今回の原発の問題ははるかに限定的ですが、情報をコントロールした結果、国の方向性が間違ってしまったという点では同じです。
そう考えることはつらいことだし、できたらそう考えたくない気持ちはわかりますが、福島の原発の現状と対応を考えると、想定しなくてはいけなかった条件があまく、起こってしまったことを見ると、そのシステムの前提を考え直さなくてはいけないと思います。
 さて、その際、私たちの情報は、政府、電力業界、マスコミによってコントロールされていたことを意識する必要があります。これらの人々だって別に悪気があったとは思えない。日本が発展していく未来のために、必要だと考えて原子力政策を推進してきた。ただ、それだけ。妨害する人をなんとか封じこめようとしていた。そのとき、安全をおざなりにして、とりあえず押さえ込もうとしていただけなんだと思います。でも、それが仇になって、今の状態を生んでいる。科学者たちが謝罪したのは相当大きい意味があって、もうどうしようもなくなったということなんだと思います。残念だけど、スポンサーがいるマスコミはスポンサーにとって不利な情報はながせなかったんです。それは、電力会社がそうするなと言ったのではなく、マスコミが自主的にそうしたんです。
 だから、いま信じられるのはツイッターのような間違いがありかもしれないけど、スポンサーとかの影響力があるメディアとインターネットテレビや朝日ニュースター(マエキタさん推薦)のような独立系のケーブルテレビなど、そういうところに不確かだけど、本当のことに近いことが多くあるのだと思います。
それも今だんだん変わりつつあると思います。情報をちゃんと収拾する努力をしてほしいです。

2011年4月14日木曜日

Switch OFF!

・現在は自然エネルギー10%くらい(水力が4%)
・現在は1/3が原子力
・現在の原発の地震に対する設計強度 300ガルぐらい(関東大震災レベル、阪神淡路( 700ガル)では壊れる。)
・火力とかは20〜30%で運転していて余力はある。
・現在のライフスタイルは電気使い過ぎ(と思う。)


さて、私は率直に思う。原発一回止めようと。でも、推進派の人はここで、止めてはいかんのだ。一度止めたら二度とだめだからな。と思っている。どう出てくるかわからないがほとぼりをさめるのを待っている。
でも、本当にほとぼりさめるの??

現在、地震が多発している。震源地も動いている。これで311と同じ規模の地震が来たら、誰がどう責任を取るのだろう?東京電力以外の他の電力会社も。簡単にいうと即刻止めるべきなのである。

止めてから次にどうしようか考えよう。よく技術を発展させていくうえで必要なことは「見える化」だと言われる。まず、目標を見てそれに合わせて、いろいろ検討するのだ。だから、今電力量がどのくらい必要か見せてはもらいたいと思う。それを見て、どこも我慢ができないというなら、原発をまわそうよ。

それができないというなら、対案は簡単。原発を止めた方がいい。

もう一カ所、福島とおなじような場所が日本にできたら、少なくとも東京は立ち直れない。浜岡だったら、首都は挟まれる。福井だったら、東京は地方を切り捨てたと言われるだろう。女川だったら、東北から人がいなくなる。そういうのをリスクヘッジっていうんだと思う。

まず止めよう。それから考えよう。

2011年4月13日水曜日

エコハウスの断熱性

今回、町自体あるいは建築単体がインフラに相当依存しているということがわかった。原発の破壊による停止による停電の影響で、住宅で使われるエネルギーの縮減が求められている。また、山形は地震や津波による直接的な被害はなかったが、もっとも寒い時期3月に2日以上の停電や携帯電話の不通がおこった。

携帯電話はともかくも、暖房も何もかも電気がないととにかくなにもつけられない。誰しも寒かった。でも、そのなかで山形エコハウスだけは18度くらいをずっとキープしていたそうだ。今の私たちは家がもっているシェルターとしての役割を忘れかけている。自然から守り、くつろぎ休まるスイートホームは外敵から身を守るということを。電気や情報に接続していることで、あたかも物理的にも守られるような印象があるが錯覚だった。

その点、エコハウスの断熱性の良さは熱の出入りが極端にすくないということで、外からの影響を受けにくく快適だった。
この話をするとかならず、それは冬の山形だからといわれる。だが、考えてほしい。東京で3日間停電したら、おなじことになりはしないか。家がその場合に、快適かどうかは非常に大事な要素になるのだと思う。

2011年4月8日金曜日

ニコニコフレームについて

簡易間仕切りシステム “ニコニコフレーム”について説明します。

一般的な仮設住宅は薄い鉄板でつくられます。軽くて取り回しもいいのですが、最後はゴミになってしまいます。
ここで提案するのは在来木造のプレカットでつくられた2.5mx2.5mx5m のフレームです。ちょうど7.5畳ほど。
室内の間仕切りにも使えるし、外にも使える。これは、東京から避難していた森さんが宮崎の木材屋さんと考えてくれたものですが、いろいろと応用が効くだろうと考え、まず、つくろうと。
大きさは、トラックの荷台にものる2.5mを基準にしてます。ちょうど、2,5mのフレームが2こなので、ニコニコフレームとしました。
今回は川上木材さんの提供ですが、図面があれば誰でもできます。避難所がたらない、合板がないといういま、木のフレームは日本全国どこでも調達できます。


ユニットサイズ
(2500mmx2500mmx5000mm)

特徴
木に囲まれた癒される空間
もたれかけられる間仕切り壁がある
横になれる床がある
そのままどこかに移動できる
解体すれば薪になる、でもゴミにならない。
プライバシーのレベルに応じて間仕切りの高さを自由に調節
国産の杉材を活用したパネルを使用
素人でもXX時間で組み立てられる(やってみないとわからないので、土曜日に)

提供価格:(調査中)


全国各地で始まった被災者一時受け入れ態勢の活用や、被災地の避難所生活でのストレス軽減により、長引く避難所生活を強いられる被災者の心のケアを!
質の悪い仮設住宅の大量生産は、東北地方のエネルギー依存の暮らし方を助長します。
長期的な復興計画による正しい性能の仮設住宅を提供しましょう!

フレーム購入希望者は川上木材まで
TEL:0985-47- 2834
info@kawakami-mokuzai.jp
(担当:福原)

企画  一般社団法人パッシブハウスジャパン+東北芸術工科大学
協力  チーム宮崎 (株式会社川上木材、ランバー宮崎協同組合、有限会社サンケイ)