2009年11月1日日曜日

エコハウスの基本

エコハウスは突き詰めると簡単なものになる。地域によってちがうが、【断熱】と【通風】である。昨今ではいろいろな要素技術が出ていて、住宅にいろいろオプションをつけてみたくなるがそんな必要はない。壊れる機械に頼らなくはいけないほど、日本の気候は厳しくない。むしろ、気候の条件をうまく使うことが大切だ。日本の住宅は夏を旨とすべしと吉田兼好は書いているが、さすがにこれは無理である。そのときから比べて、人間が快適性を感じることができる体感温度の幅は狭くなっている。だから、ある程度の空調は必要である。でも、それも少なければ少ないに越したことはない。
逆に発想すれば、暑くても寒くてもよいのである。変な話しだが、身体は馴れる。身体を慣らすのが一番手っ取り早い(また、健康である)が、それはそれでは話しにならないのでどうしたら、簡単に快適になることができるか書いてみよう。
【通風】
まず、豆知識。
・風速が1m/sあがれば、体感温度は1℃下がる。
・体感温度は(壁の表面温度+気温)/2で求められる。

でも、風速が4m/sをこえると机の上の紙が飛んでいってしまい、生活に支障がでる。

以上のことから、
風が吹いていると、いくら暑くて30℃を超えていても、体感温度は28℃ぐらいにはすぐなることがわかる。先日、環境省が建てる20のエコハウスの発表会があったのだが、そこで熊本の建築家が機械に頼るエコハウスのアンチテーゼとして、積極的に通風をつかった家を提案していた。そのなかで、「家族それぞれに一台ずつのマイ扇風機は欠かせない。」という。私はそれを九州の夏の過ごし方としても、とても正しいと思う。エアコンが一般化したのはここ25年くらいであろうか。さて、極端な例はさておき、どうやって気流を起こし、通風のルートを確保するか。起こせたら、冷房がいらない家が実現する。高層ビルなどでは、智恵が足らなかったので、窓を閉め切っていてエアコンで制御していた。もっとも新しいビルは、外気を取り込み、それをそよ風として建物のなかに取り込むらしい。そしたら、冷房病なんかになったりはしない。集合住宅などは、そういう技術を使った方がいい。
【断熱】
今の日本にはどこまで断熱をするのかというコンセンサスが全くない。答えは簡単。「冷暖房の負荷が小さくなって、冷暖房がほとんどいらなくなるまで。」断熱する必要がある。冷暖房がほとんどいらなくなれば、断熱を増やしていくイニシャルコストを冷暖房の設備の機械のイニシャルコストやランニングコストに置き換えることができる。だから、十分に断熱しなくてはいけない。一戸建ての住宅だとするとQ値(熱損失係数)は1.0あるいはそれ以上になっていく。断熱材でいうと屋根が高性能グラスウール300㎜、壁が同200㎜といったところか。そうなると、日射の太陽エネルギーと補助的な暖房で冬は過ごせる。夏は通風を考えるが、どうしても暑い時は、エアコンを使えばよい。断熱性の高い家は少しのエネルギーで十分に冷やせる。

ほとんどいらなくなる。と書いたことにも意味がある。どうせだったら、全くいらないなる方がいいのではないかという話しもあるにはあるが、それでは過剰設備であろう。どっちにしろ、エアコンがあることを考えると、本当に寒い何日かはエアコンを動かせばいい。それ自身はたいしたエネルギーではないからだ。

さて、そうなると「エコをするぞ。」といっていろいろ機械設備を揃えるのは本末転倒な気がする。

秋は移動がおおい

先週はあちこち行ったり来たりしている。土曜日に、鶴岡でダイアログカフェ。学生やマエキタミヤコさん、致道博物館の酒井さん、亀やの阿部さんたちと庄内の未来について話し合う。10月25日、大学でデザイン選手権。高校生のデザインの大会である。デザインといってもなにかかたちあるものをつくるわけではない。なにか日常の中の気づきを,企画にするというもの。審査員は小山薫堂さん、原研哉さん、茂木健一郎さん、マエキタミヤコさん、中山ダイスケさん、藤原正義さん、私。優勝は位牌がUSBメモリになっていて、故人のアルバムを組み込むもの。身近なところにあるもの同士の組み合わせだが、あったら本当におもしろい。月曜日にはサスティナブルデザインの益田文和さんにお会いする。27日に鹿児島に行き、リノベーションしているデパートの利用に関して、打ち合わせ。28、29日と山形に。大学で授業。黒川雅之さんの話しを特別授業で聞く。なるほど、プロダクトから建築まで、幅広い活動の一端を伺う。
秋はいろいろなイベントが目白押しでいろいろな刺激をうける。いろいろな建築家やデザイナーがいることに感心。

2009年10月18日日曜日

エコに対するスタンス

ブログ2日目。「未来の住宅」の内容が、あまりにエコロジカルなのではないかと馬場さんと心配しあった。エコを標榜するのは、建築家のなかではかっこわるいことなのだ。建築家は空間をつくることが仕事だ。という自負がある。小泉雅生さんがまとめた「」という本がある。その本は一線で活躍する、とんがったデザイナーと言われている人たちが意外と環境とかに配慮している(ある意味あたりまえだが)という内容なのだが、登場する建築家がかならず(小泉さん以外)「実は、興味があるのは環境的なことではなくて、空間なのですが・・・」とインタビューの最初にいうのである。それほど、空間ではない、環境やエコの問題というのは避けて通られる。また、エコにはさまざま水準があって、なかば宗教のようなものから、販売促進のための合い言葉みたいなものまである。特にエコを前面にだす建築家は、他に能がない人のような印象すら受ける。単純にいうと胡散臭いのだ。そういった胡散臭い世界に飛び込むことになる。その意識はなくても、そう見られることになる。だから、エコの加減には特に注意を払った。スタンスを明確にする。

□無理をしない。我慢しない。
理由は簡単。長続きしないから

□誰もが最低限必要と思われるレベル。
特殊な人のためのものではなく、現在はこのくらい必要だろうというレベル。このことは結構流動的で時代が変われば、水準が変わるということである。
私は化学物質過敏症ではないし、健康なので、空間もそれが維持できればいいと考える。私自身が結構、大雑把な性格とからだなのである。

さて、この本はカーボンニュートラルをベースとしている。すなわち、温暖化防止のためにCO2をどれだけ出さないかということ目的としている。「温暖化を止めるには、CO2を削減しなければいけない。」という関係を疑うと、議論が成り立たない。最終的な事実は誰にもわからないが、これは世界の共通認識である。まったくそういう世界の情勢と関わらないで生きていく方法もあるかもしれないが、日本のエネルギー自給率はわずか4%である。そのエネルギーの大部分を輸入に頼っている私たちは、何としても脱石油を真剣に考えるべきだと思う。

2009年10月12日月曜日

未来の住宅




まず、最初にこの本。山形の大学に通っていなかったら実感がわかなかったであろうが、山形に来ていると人々の暮らしが自然のなかでなりたっているというのがよくわかる。その自然を生かしたものの作り方を考えることは、至極当然のことだ。それが、木材を活かした住宅のあり方だが、実は山形だけの問題ではない。日本全国の問題でもある。日本は国土のじつに67%が森林に覆われているがうまく活用していない。安い木材を大量に輸入したため、林業がうまく行かなくなり、今では木を切るのもたいへんな状況になってしまった。森はちゃんと手を入れてやらないといけない。でも、衰退してその手がないのである。
一方、私たちの暮らしはどんどん豊かになっていると言われるが、住宅に関してはその実感が乏しい。都市部を中心に考えれば、土地の高騰で住宅を手に入れにくいが、それはごく一部の問題である。地方では、どういう豊かさを目指すのか行き詰まっているようだ。そういうことをいろいろ思っていた頃、低炭素社会の到来に関して、同僚の三浦秀一さんに聞いたところ、正直驚いた。どうやら、日本の住宅事情は世界の中でも、相当遅れているようだ。というようなことを聞いて、焦って、三浦さんにいろいろ聞くということで、馬場正尊さん、山畑信博さん、渡辺桂さんと勉強会を立ち上げた。
 みんなでいろいろ話しながらやった方が、気楽だと思ったからだ。そして、それを本にして、「最先端の住宅をつくりましょう。」というきっかけにしようと勝手に盛り上がっていた。三浦さんに誘われて、中央ヨーロッパのオーストリアに「かっこいい木造住宅がありますよ。」と言われて、でかけて見てしまった。本当にかっこいい。「こういうのをつくりたいな」と思っていたらトントン拍子にいろいろなものがまわり始めた。タイミングとしてぎりぎりだとは思ったが、とにかくいろいろ始まったのである。