2012年8月12日日曜日

日本の生産性




同じ「ロックの会」の田中優さんのパワーポイントでの話しのなかで、先の記事よりももっと大事なことを書くのを忘れていた。田中優さんの話しに出てきた飯田さんの選挙活動との関係での話し。

上記のデータの違いがおもしろい。
似ている日本とドイツだが、大きく違うのは貿易における個人の輸出高のちがい。ドイツは高付加価値のものを作り、輸出する。実に3倍ちかい差があるのである。これは再生可能エネルギーで内需を拡大し、国自体が豊かになっているからと。

たしかに日本の化石燃料の負担は年々増すばかり。全体で25兆円。GDPのなんと4%にもあたる。こんな高いエネルギーを買って、資本流出をさせている。再生可能エネルギーは10年ちかくでもとが取れる。そうなると、11年目からはエネルギーがただに近くなり地域の中で経済が回りだす。その分は、化石燃料を買わなくてすむようになる。そればかりか、ドイツでは再生可能エネルギーで40万人の雇用が創出されているいう。これに関しては経済的にも、雇用的にもよいことが多い。

日本の労働環境は無駄が多い。または、変にスポイルさせて、国際的な競争力が損なわれている。たとえば、テレビ。地デジ化やエコポイントで一時的な需要を喚起したが、現在サムソンに負けている。自動車のエコポイントも同じである。

そういえば、トヨタは優秀な車をつくっているかもしれないが、目黒区、世田谷区ではメルセデスやBMWあるいはAUDIがそれこそ大人気だ。やはり日本のもの作りが、高付加価値にできていないということではなかろうか。このままだと、テレビのようにクルマも没落してしまう可能性も否定できない。

再生可能エネルギーは、原発の代替ということではなく、内需拡大の喚起という経済的な可能性もある。なによりエネルギーの特性として、地方に有利である。同じように、住宅などの性能の向上も大事なテーマだ。日本の住宅は決して豊かなライフスタイルにあっていない、ただのバラックである。そこにも大きな可能性が残されていると思う。

ロックの会での備忘録。


どんな感じだったのかはこちらのtogetterをご覧下さい。

ここでは2点ほど、ぼくの興味のあったことをまとめておきます。

登壇者は田中優さんと経産省資源エネルギー庁新エネルギー対策課長の村上敬亮さん。

田中優さんの話し

【ストランデッドコスト】
原発は簿価上は動かしていると資産。廃炉にしようとして止めると負債。そうやって、負債で計上されてしまうと経営状況がとたんに悪くなって会社が倒産してしまう。そこで、その分を国家予算などで補う時に発生するコストをストランデッドコストという。

いま、まさに関電が大飯原発を動かす際に、安全よりも何よりも会社のことを考えると止められないので動かす。という状況にいます。
ぼくは当初、関電なんてつぶしちゃえばいいのではないかと思いましたが、そんなことしなくても、その廃炉にする分、払ってやれば、原発止めてくれるんだ。というのであれば、危ないものうごかしつづけるより、よほどよいのではないかと思い至りました。

そのためには、経営陣の刷新とか、いろいろな手続きは必要でしょうけど、今みたいなことにはならないのではないかと思います。

たいへん、勉強になりました。

村上敬亮さんの話し

これからのエネルギーは節電、再生可能エネルギー、既存のエネルギーとの組み合わせでやっていかないと、安全保障上もよくないという話し。
資源エネ庁でも、原子力だけではないんですね。

そもそも、太陽光発電のコストがどんどん下がっていて、飯田のお日様ファンドのような儲からないかもしれないけど、やっていける電力会社がどんどんできないダメなんだよね。と。(全くそうです。)

そういうなかで、一番これから有望なのが風力で(コストが安い)、そのポテンシャルを一番持っているのが、北東北と北海道の日本海側。だけれど、北本連絡線の容量が60万kwと小さくこれがネックになって、開発が進まないとのこと。

早く発送電分離をして、送電網を活かしながら電気の安定供給をしなくてはいけないなあと思いました。なんだ、こういうことがあるんだ。ということを知っただけでも収穫がありました。

地域の話しと大きなマクロの話、両方聞けておもしろかったです。




2012年7月17日火曜日

なぜ、ぼくは原発を反対する様になったか。


 それほどむずかしい話しではないです。もともと、原発のことに興味はなかったです。電気が安定供給されるということが前提の建築という分野での専門家でしたから。ぼくは4人がイーブンパートナーとして活動している建築ユニット「みかんぐみ」のメンバーです。もともと、建築をつくるのが仕事です。建築家としては、それはそれで珍しけれど、4人がミーティングをして、合意したものをつくる。誰か、大先生がいる訳ではなく、4人の創発性を信頼して、ひとつひとつ議論をし、ディスカッションをしてあるカタチを決めるということをしてきています。そこでの議論は大変おもしろく、赤足す白はピンクではなくて、全く違ったものになったりする、そういう事務所です。たとえば、みかんぐみでもエコへの取り組みをやったことがあります。たとえば、愛・地球博のトヨタグループ館。リユースできる細い部材を使い、外壁を紙にしてリサイクルをして、という風に、リデュース、リユース、リサイクルといった3Rを建物で実践しました。建物が紙でできているなんて気がつかない人がほとんどだったかもしれません。でも、リサイクルできる様になっていたし、実際そうしました。リユースするはずの鉄骨に関して、受け入れ先藻決まっていたのですが、そこの市長さんが「中古のものをつかうなんて許さん」といったから残念ですけど、実現しなかったのです。取り組み自体はコンセプトをそのまま実行しているという点で非常におもしろかったと思います。
 さて、そういう経験はあったけれど、いわゆるエコ建築には興味がなかったです。というのも、エコは胡散臭いのです。これはエコだという商品が多すぎて、ちっともエコに思えない。漂白している紙より、生地の紙が高いなど矛盾したことが多くあります。また、リサイクル品を謳うために、わざわざ新品を混入するようなものまで出てきた。その胡散臭さが気になってました。
 そういう中で、大学で建築・環境デザイン学科をまかされることになり、その学科をどの方向に進めていくか考えなくてはいけなくなったので、一つずつ、学科の特徴を書き出して、発表したのですが、箇条書きだったので非常にわかりにくいと言われました。アーチストでもある宮島達男さんが副学長なのですが、彼から「カードにしたら、わかりやすくなるのでは?」といわれて考えたのが、「サスティナブルタウンのための10の提言」です。街全体が元気がないのをどうしたら、経済的にもうまくいくか。街も考えていますが、ぼくらもイベントをやりながら、常に考えていたのでそういうことも含めていろいろ提案していきたいと考えたのです。
 住民参加の方法や意志の決定など、マエキタミヤコさんが環境系のイベントや市民集会を開いていたので、その経験をもとにいろいろ教えてもらいました。そのとき学んだのは、法律(ルール)を決める人と実際に行う行政(官僚)とは違うんだということでした。カフェダイアログをやったり、合意形成ってどういうことか勉強しました。
 山形では、自然が豊かなので1番が自然、2番がエネルギー(当初は資源)、3番が食物、と続きます。その頃は、のどかにサクランボなど農業生産品をつかって町おこしでもしたいと思っていて、絵がサクランボになっています。ところが、この3つ。震災後、この順で非常に大きな意味があったことに気がつきました。私たちの風土、エネルギー、食べ物。今回の原発事故の後、否応なく考えさせられる3大要素です。
さて、先ほども言ったように、合意形成のためのいくつかのカードが入ってきます。住民参加はカフェを中心にと考えて、コーヒーカップ。産業も大事ということ、役所の横断的なチームも必要ということで、プロジェクトチームを加えています。
 その間に挟まれるのが、建築だったり、移動の手段の交通、あるいはその過程でどうしても生産されるゴミだったりするわけです。
 これがぼくが東北芸術工科大学のためにやった初めての仕事です。その次に取り組んだのは、洞爺湖サミットのときの「福田ビジョン」に関して、学科の教員でおしゃべりをしていたとき、「建築はどう変わっていくのか」という問いに、同僚の三浦秀一さんが「実は今の日本のレベルでは対応できない云々」ということに素直に驚いたので、ちょっとそれをちゃんと把握しましょう。というのが次のプロジェクトでした。日本はそんなに遅れているなんて知りませんでしたら、結構新鮮でした。そして、「百聞は一見にしかず」と言って、三浦秀一さんは馬場正尊さんや私をいろいろなところに連れて行きました。
 日本の国内だと、秋田の能代にある西方里美さんの事務所やオーストリアの木材がうまく使われている環境先進地に寒い時期に言ったのです。この一連の話しは「未来の住宅 カーボンニュートラルハウスの教科書」に詳しくまとめてあります。そうやって本にすることは考えをまとめ、遠くに放り投げられる感じがするので、時々そうします。
 さて、エコハウスの本を書いたところ、環境省のエコハウス普及促進事業に参加することができ、大学敷地内に世界最高水準のエコハウスが誕生させることができました。日本一ではなく、世界一を目指す過程で、ドイツのパッシブハウスに明るい森みわさんと知り合いました。建物を徹底的に科学的に考え、かつ、日本の住宅の温熱環境の改善にどう活かそうとするかというパッシブハウスジャパン代表の森みわさんです。
 森さんには客員教授も引き受けて頂いていたので、ある課題の出題をお願いしたところ、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」の映画をみて、そこに登場する祝島の人に何をプレゼントするのか。という課題を出されました。そこで映画をみて、自分の建築という分野と原発がエネルギーということを仲立ちにして、密接につながっているのを始めて知りました。素直に原発についていろいろわかったので、これを自分のレクチャーに取り込んだのです。
 エコハウスをつくってしまうと、現在の一般的な日本の家がエネルギーを浪費することがよくわかり、もっと家単体でエネルギーを抑えつつ、快適な暮らしができるようになるということが’、数値的にも体感的にも理解できるようになりました。一昔前までなら、窓の断熱が極端に低かったのが、その性能が向上するにつれ、今まで通り、日当りや通風を確保しながら、高性能な家を造ることができるようになってきました。そういうことを一度、知ってしまうともとには戻れません。確実に原発をなくしたいと思うようになり、ある覚悟を決めて、建築のレクチャーのなかに、原発の是非を問うスライドをいれたのです。
 そして、そのレクチャーを3月5日にした直後、2011年の3月11日を迎えたのです。ひとつのリニアなストーリーが意味を持ち始めてしまいました。

 さて、そんななか、海外の友人から、「早く逃げた方がいい」と何度も言われましたが、年度末で終わらせなければならない現場の仕事があり、持ち場を離れるわけにはいきませんでした。そういうなか「なぜ、こんな悲惨な事故が起こったのか」と考え続けました。
 そもそも、日本に54基も原発があるなんて知らなかった。今考えれば、恥ずかしいことです。RCサクセションが好きなのですが、忌野清志郎が「サマータイムブルース」を歌っていても、変な歌だなとしか思えなかった。そして、たどり着いた結論はたったひとつ。「ぼくらの無関心」です。無関心がこの事故を起こしたのだと思いました。
 この「無関心」は忙しいぼくらにとっては強敵です。忙しいから、つい考えなくてもいい様に思ってしまう。考えない方が楽だから、、、。という風になっていって、知らない間に54基もつくられた。と考えられるのではないかと思います。
 先ほど、レクチャーをやる際に「こんな政治的なことをぼくがしゃべっていいのだろうか。」とも思いました。でも、これはイデオロギーの問題じゃないんです。安全の問題。イデオロギーを超えた問題。ある人から、「イデオロギッシュにみえることが、推進派の隠れ蓑になっている」のではないかと指摘されました。そうかもしれません。
 日本におけるイデオロギーの差はほとんどありません。日本人はかなり均質な民族だからです。だから、ちょっと違うとすごく目立つけど、実はそう大きな差はありません。
経済と安全に対する信頼感のちがいが今回のデモを巡る対立になっていると思います。あと、いままで同じ方向を向けて、うまくやってきた政府やマスコミに対する考え方がここにきて大きく揺らいでいる様に思います。「まさか、ウソはつかないだろう。」「国のためを思えばこういうことも必要だ」と考えることもあろうとは思います。でも、今の政府はあまりにも酷いと思います。
 色々ありますが、その最大のものにひとつは、反原発投票の扱いです。73万もの署名が何を意味しているか。どれだけの人がそのために署名をしているのか。心配しているのか。そういうことに対して、都議会の投票はその結果のもつ影響の大きさを削ぐように、投票の反対を決定し、都民の意思を無視しました。
 そして、まだ全く収束しない事故の収束宣言。食品の安全基準の異常な緩和。電力体制の責任を追求しないこと。このいずれもが、声を上げた人を無視する結果になっています。lこれは慢心の結果だと思います。「このままおしきちゃっても、そのうちなんとかなるよ。」という風に考えているのでしょう。
 選択肢がなければ、つくればいいと思います。そのためには協力を惜しまないつもりです。なので、きっと出きてきます。そういうチョイスも。

2012年7月16日月曜日

原発と自然エネルギーの一番大きな違い


原発も火力発電も原理はいっしょ。どちらもお湯をわかし、その蒸気の力でタービンを回し、電気を起こす。風力発電はタービンの代わりにモーターを回す。タービンはモーターは仕組みの大元は同じ。電気を流すと回るモーターを逆に回しているだけ。電気がエネルギーになるのの反対で、エネルギーが電気になる仕組み。
回すことでエネルギーが生まれるのは共通だが、違うのはそのエネルギーの大きさ。原発の中心では1800℃の温度のものを冷やしながら、蒸気をつくる。火力はおよそ550℃。ものすごい大きなエネルギーを扱う方が、その入れ物も同じ温度になるので、コントロールがしにくくなる。なんせ鉄が1200℃くらいで溶けるのである。だから、原子力ではできるだけ冷やしながら扱うということになる。でも、すべてのエネルギーを使える訳もなく、大きなエネルギーを捨てることになる。また、送電網で送られている間に65% 程度がロスする。
一方、自然エネルギーは太陽熱温水器だって 100℃以下である。太陽エネルギーだから、それ自体を浴びていても問題ない大きさだ。だから、いままではそれを取り出すことは難しいと考えられていた。でも、その微妙なエネルギーを私たちの生活に使えないかというのが最初の考え方だ。
エネルギーは何も電気に限った問題ではない。熱エネルギーのことを忘れてはならない。住宅で使われるエネルギーの1/3が熱エネルギーだ。一番簡単な熱エネルギーは太陽熱そのものだ。冬の晴れた日にそれを家に取り込めば暖房が要らなくなればいい。曇りの日や夜は使えない。そのときは他の暖房が必要だ。でも、曇りの日が使えないからといって、冬の晴れた日を諦めるのは間違っている。東京などの中緯度に位置する都市では、日射エネルギーでかなりの部分行ける。実感がないのは、そういう高性能な家を見たことがないからだ。百聞は一見にしかずというが、見ないものを人はなかなか信じられない。
だから、同じエネルギーといっても、その温度差のちがいが大きくある。だから、発電効率ばかり考えてもあまり意味がない。送電ロスの問題、使われ方の問題、様々な条件にどう対応できるかの問題。まったく違うのである。エネルギー問題はライフスタイルだけではなく、建物の性能によって大きく異なる。でも、建物を高性能化すれば大きな節約効果が発揮でき、電気を新たに産み出すよりも簡単に供給量を抑えることができ、最近ではこの節約効果をネガワット発電ともいう。
使うエネルギーをおさえつつ、少ないエネルギーをつくりながら、人が満足できるような生活をする。それは現代の智慧のあり方なのだと思う。

2012年7月10日火曜日

誰が電気自動車を殺したか


「誰が電気自動車を殺したか」という映画を見た。DVDで買ったものだ。
もっと漠然としたフィルムかと思っていたが、すごく具体的な映画だった。
GMがEV-1という電気自動車を開発した。一旦、売り始めるがカリフォリニア州政府の排気ガス政策が厳しい、電気自動車などの需要はないとして、自らつくったEV-1を回収し、スクラップにするという映画。もともと乗っていた人たちは、その大企業のやり方に疑問を持ち、ユーザー自身がEVを支持、新しいあり方を模索する。
自動車メーカーは自分たちの既得権益を大事にするために、過去に市電を買い取り、つぶしたりしている。そして、大きい自動車を売り、、、、。
そうしているうちに、トヨタやホンダがハイブリッドカーをつくり、GMは落ちぶれていく。おそらく、今世紀最大の失敗なのだと思う。
さて、振り返って、日本はどうだろうか。飯田哲也に言わせれば、世界は「第4の革命」の真っ最中だと言う。22兆円もの投資がされ、それが電気を産み出していく。
なぜ、日本にそれがなかったのか。答えは簡単だ。誰かが妨害していたのだ。独占したい人が、再生可能エネルギーなんかやってもダメだよ。と言い続けた。マスコミも政府もである。なぜなら、既得権益を独占したいために。

■エネルギーは足りるのか。

果たして、エネルギーは足りるのかどうかということだ。
答えは簡単。足りる。夏は晴れた日の平日の午後14時過ぎにピークを迎えることがわかっている。その足らなくなるかもしれない期間は1年に1週間あるかないかだ。そのピークに足らなくなる。だから、そこを使わなければ問題ない。
どうしたら大丈夫か。
これも簡単だ。そのピークになりそうになったら、その料金を通常の何倍にもすればよい。そうしたら、みんな使わなくなる。実際にフランスで、バカンス中は電気代が高いのでみんな休むのだそうだ。休みを法律で決めている。あるいは、優遇措置を受けている法人には強制的に切るということがあるかもしれない。そうすれば、一般には大停電は起こらなくなる。そんなスマートグリッドみたいなことできないと言われそうだが、ここ何年かはスタッフがホームページを見て操作したってよい。
 そういうきめ細かい情報のやり取りができれば、なにも恐れることはない。停電など起きない。そういう細かな操作や情報のやり取りができないのが問題なのだ。

 さて、長期の話しをしよう。長期はまたむずかしくない。最近のもっとも大きな需要を頭打ちにして、トータルを減らす努力をすればいい。それこそが技術革新である。古い効率の悪いものは淘汰され、新しいビジネスチャンスが生まれる。
なぜ、エネルギーを頭打ちにしていいか。理由は2つある。1つは上記のエネルギー革新ともう一つは日本の人口減だ。これから、ものすごい勢いで人は減っていく。2050年には9500万人、およそ源現在の75%になっていく。そのときも同じエネルギーを使いたいというのであれば、それはわがままである。人口に合わせて、エネルギーを減らしていくというのがしごく当たり前な考え方だ。これにもし、70%程度の省エネルギーができれば、0.75×0.7=52.5%で需要はほぼ半分になる。
 日本の省エネルギーは限界というのは、ウソである。人々のライフスタイルという点ではそうかも知れない。でも、社会全体ではそこまで努力はされていない。省エネルギーのものをつくったから、大売れした商品をまだ、見たことがない。その辺が緩いのである。 きっと日本人はうまく電気自動車をつくることができるし、風車の性能もあげられる。
ぼくがそういう技術のなかでほしいものは2つ。高性能の窓とエアコンのついた熱交換換気扇。その技術が日本のもので、価格と性能が満足なものがない。そうやっていくとエコ自体が大きな経済効果を産むことがわかる。
 また、自然エネルギーのいいところは、経済が近いところでまわることだ。化石エネルギーのマネーは結局は産油国に行く。そこで大きな富となり、砂漠のなかに大きなビルを建てた。別に不当な話しではないが、私たちの富が外国に富として結実している。地域内部でこれを回せば、マネーがわたる先は域内なので、そこでの消費活動は我々に帰ってくる。今までは資本流出していたものが、うちにとどまるのは大きい。
 さて、現地でエネルギーを起こすことは、送電ロスをなくすためにも、とても有益である。先ほど、使っているエネルギーは起こしたエネルギーの3割程度と書いた。現地で発電すればそれは有効に使うことができる。
 問題はその不安定性である。これからのエネルギーは、地域分散、多様性が必要である。だからいろいろなものを組み合わせなければならない。だから、一つで良いという分けてはない。風車は夜も発電できる。太陽光は夏のピークに合わせて発電できる。小水力は風よりも気ままではない。バイオマスは人が運ぶことで雇用も産まれる。これらはひっくり返せば、すべて短所にもなる。そういうものなのだと思う。
さて、最後に昨日、第4の革命を見ていた時の誤解が気になったので、付記しておく。



ドイツは太陽光電池で失敗している。←失敗していない。ある会社が倒産しただけだ。それは中国製の安いパネルが原因と言われている。

中国は再生可能エネルギーに興味はない。←ウソである。かなり積極的にいろいろな技術を進めている。現に太陽電池の生産量は年年増えている。性能の悪いものは広がっていかない。中国は自らの安全保障を含め、太陽電池、太陽熱利用などかなり積極的だ。

アメリカはブッシュの時代は停滞していたが、オバマはグリーンニューディールと言われている。どんどん、進んでいる。日本は後ろ向きになっている場合ではない。この流れに追いつかなければいけないのである。

2012年7月9日月曜日

日本のエネルギー

■エネルギーの未来 

日本でのエネルギーに対する理解が一般的ではないのでここに書きます。 普段はtwitterなどの短い投稿が多いのですが、さすがに短すぎるのでまとめて書きます。

 ■まず、私の専門は建築なのですが、全般的なことから書きます。 

日本のエネルギー自給率は何%でしょう?

 ついで、スウェーデン、ドイツ、オーストリアでは何%でしょうか?


 答えは日本は4%、スウェーデンは40%、ドイツは20%、オーストリアも30%です。 日本はおもに、石油や原油などの化石エネルギーに頼っていて、化石エネルギーはほぼ100%輸入のものです。また、原子力もウランは輸入に頼っています。食料自給率が40%でも問題になっていますが、エネルギーはもっと深刻です。ですから、この問題を大きく考えなくてはいけない。311まで、日本はその切り札として、原子力を50%まで引き上げる計画を立てていました。(あくまで、311までの話しです。) さて、スウェーデンは水力が盛ん、ドイツは石炭火力が盛ん、オーストリアも同様ですが、最近は木材を燃料としたバイオマスが盛んで、その自給率をどんどん引き上げています。これらの国は、石油ショックを経て、ロシアのパイプラインに頼るエネルギーの問題を安全保障の問題ととらえ、自国の資源をどう活用するか検討を重ね、社会を変革してきました。そうしてエネルギーの自給率をあげていきました。これらの国は自国の森林面積が多く、その資源を活用しています。林業を振興し、そこで家具や家といった製品をつくりながら、そこで出たゴミを資源として活用することを進めました。これがヨーロッパ型のバイオマスです。 ところで、日本の森林面積は国土のどのくらいかご存知ですか。 

答えは67%が森林です。 山が急峻で林業に適さないと言われていますが、オーストリアやスイスのアルプスと余り変わりません。オーストリアなどでは機械化がすすみ、間伐などを効率的に行っています。日本の森林は戦後、植林が進み、すでに伐採できる大きさになっていますが、コストがかかるなどの理由であまりちゃんと活用されていません。ただ、量としてはかなり多くの資源が山にあるのは事実です。 これらの資源をどう使うかがこれからの大きな問題になってきます。

 ■エネルギーの上流と下流の問題 

もう一つの大きな問題はエネルギーの使い方の問題です。 エネルギーはさまざまなカタチで種類を変えていくので、そのエネルギーの大元がどうやって産み出されたかが重要です。その大元のエネルギーのことを1次エネルギーといいます。日本は工場などの生産部門、交通などをになう運輸部門など、いろいろとエネルギーをつかう場所がありますが、日本の1次エネルギーの40%は住宅、オフィスなどの私たちの住まいで使われます。 しかし、日本の建物で使われるエネルギーについて、法律による規制はありません。最近、300㎡以上の大規模な建物についての届け出が義務づけられましたが、そこでも規制にはなっていないのです。 一方、ヨーロッパは法律で厳しく決められていて、2020年前後には新築の建物はカーボンニュートラルでなければならないと決められています。カーボンニュートラルというのは、石油などのエネルギーを燃やしたときに発生する二酸化炭素がでない。ということ、すなわち、エネルギーを少ししか使わず、使う場合には、二酸化炭素がでないエネルギーでエネルギーをつくりださないといけないという状態です。二酸化炭素がでないエネルギーは、再生可能なエネルギーのことですが、太陽光発電などのエネルギーです。 ですから、日本の規制はないに等しく、エネルギーが無駄使いされています。ですので、これをまず減らしていくことが重要なのです。

 ■住宅のエネルギー 

住宅でつかうエネルギーは大きく3種類に大別され、地方によって異なりますが、おおよそ、3分の1ずつとなります。一つは暖房、もう一つはお風呂などの給湯、もう一つは家電などの機器類で使うものです。  ぱっと考えると、冷房とか思い浮かびますが、エネルギーの10%程度の割合です。ただ、冷房のピークが夏の暑い日の午後2時〜4時で、産業用の電気のピークとも重なり、ここを抑えることが非常に重要なので、この抑制が電力会社のキャンペーンとして、テレビコマーシャルなどに大きく流れていたせいで、夏の冷房のことを暖房よりも意識しやすいという結果になっています。エネルギー的には、ほぼ全国、0℃近くまで下がるとすると、快適な20℃まであげるためには20℃の落差があります。冷房が35℃から28℃まで下げる7℃の落差だとすると、そちらの方が小さいのでやはり暖房の方が多くエネルギーを使うことになります。 さて、発電所が遠い場合、遠くを運んでくるために必要なコストは、当然1次エネルギーとして計上されます。日本の場合、遠くから電気を送られてくることが多いので、送電ロスが大きいのです。実際、家に届くまでで、35%程度になっていると考えられてます。なんという無駄でしょうか。わざわざ起こした電力はすでに、3分の1になっているのです。議論を戻しましょう。熱でタービンを回し、電気が起きます。電気から熱にすることはさらに非効率的になってきます。ですから、熱は熱で使うことがよいと言えます。熱源は石油でもガスでも太陽熱温水パネルでも良いと思います。そうやってエネルギーの特質を理解することが大事だと思います。

 ■なぜ、エネルギーを節約する話しにならなかったのか。 

ここから先は推測です。ただ、311前は原発による電力供給を50%に増やそうとしていたのは事実です。そして、需要を喚起するために、電力会社は安全な「オール電化住宅」を推進します。お年寄りにも安全なオール電化です。ただ、ここで、どのくらいIHクッキングヒーターが電気容量をつかうかご存知ですか。種類にもよりますが、20Aを超えるものがたくさんあります。オール電化にするなら、100Aでの契約が必要だと言われた家庭もあります。家一軒が30Aで十分だということを考えると、この量は家1軒が3軒になっていくという、電力をより必要な社会にしていくための動きに他なりません。冷蔵庫が省エネ形になっても容量が大きくなれば、トータルの電気量が増えていきます。テレビも同じです。大型のテレビは結構大量の電気を使っています。テレビや冷蔵庫などはたしてどの大きさが必要かもう一度チェックしてみるのもよいと思います。それだけではなく、お湯張ポット(断熱性能の弱い)も結構な曲者です。あれ1台で冷蔵庫1台分の容量になります。 この裏には、総括原価方式と言って、電力会社の電気料金は必要な経費に歩合をかけて決められるという不思議なルールがあります。こうであれば、できるだけ原発をつくり、コストをかけて、それをオンする方法で電力会社は儲かります。需要喚起と言えば、言葉はよいですが、どんどん電気に依存する生活に慣れていってしまった私たちにも責任があります。 

■どのくらいの量のエネルギーを無駄使いしているか 

住宅でいえば、ヨーロッパの住宅の3〜5倍以上多くのエネルギーを使っています。 それを3分の1や5分の1にするにはどうしたらよいか。決め手は家の建て方と基本的な構造の2つにあります。家の建て方は大事です。いかに、冬は太陽の熱をうまく取り入れ、夏はいかによけるか、それにつきます。また、日本の家が旧来持っていたような土壁が蓄熱作用があるので、気候の厳しい時間を遅らせる機能があります。 また、風通しはとても大事です。そういった環境的に家を工夫することがとても大事です。  

一方、家の断熱も大事です。一時、高断熱高気密住宅が世の中にデビューした頃は、この手の家の窓が小さくて不評でした。当時は窓の性能も良くなく、小さくせざるを得なかったのですが、やはりできるだけ、エネルギーを取り込むこと考えると、大きくした方が有利です。この断熱性能は基本的な建物の性能とも呼ばれます。  日本に次世代省エネルギー基準という基準があるのですが、これはもう10年以上前に決められ、私に言わせると前世代エネルギー基準とさえ言えると思います。国交省のトップランナーはただのトップランナーではなく、周回おくれのトップランナーと言わざるを得ません。その次世代エネルギー基準でいうと、私が必要だと思うのは、東京で北海道の次世代エネ基準にするくらいのことが必要だと思っています。そうすると、東京に立つ家であれば、エアコン1台で夏も冬も過ごせるぐらいの性能を持つことができます。贅沢な作りにしなくても、いい性能の家は本当にエネルギーを節約することができます。  最近では良いソフトができていて、その建てられる状況に合わせて、建物の燃費がわかる様になりました。屋根や壁のデータ、窓の位置など、プラス周囲の建物の状況、その立つ場所をインプットすると、どのくらいのエネルギーをつかうか、まるで車の燃費を示す様にわかりやすく教えてくれるものであります。 こうやって家を建て始めれば、いま各メーカーが出そうとしているスマートハウスと同じような効果をあげることができます。今、メーカー主導で出しているスマートハウスは、エネルギーもつくるけど、無駄使いをする部分も大きいです。それよりも、色々な装置をつけずに、エネルギーを省エネルギーにする方がよほどスマート(賢い)といえると思います。

 質問やご意見お待ちしています。

2012年3月4日日曜日

卒原発から「省エネルギー」経由、再生可能エネルギーへ

山形新聞に寄稿し、3月1日掲載された記事です。

 昨年の三月の福島第一原発の事故を契機に、エネルギーに対する関心が高まった。エネルギー自給率がわずか四%の日本においては当然のことである。ここ何年かは休眠状態にあった火力発電所を動かすことでしのげる。でも、将来に向けてきちんとしたビジョンを確立しなければならない。山形県は地震直後は県民全体で節電運動を実施し、知事は「卒原発」を表明した。非常に先進的な取り組みである。石油、石炭に代表される化石燃料は二酸化炭素の排出の問題に加え、枯渇の問題、中東の政治的な不安定など先行きは暗い。これらの問題がなくても、人口が増加し経済が発展しつつある中国やインドなどの需要が増えるため、燃料の値上げは避けられない。これ以上そこに頼るべきではない。だからといって、まだ福島第一原発の事故が収束せず、事故の原因究明がされていない状態で原子力に戻る選択肢はない。結果として私たちは再生可能エネルギーでやっていくことを前提に考えなければいけない。
 では、現在使用している化石燃料を現状の使い方で、再生可能エネルギーに代替していくことは可能なのだろうか。答えは否である。私たちは今までエネルギーを鷹揚に使ってきていて、無駄遣いが非常に多い。このエネルギーをまず積極的に節約しないといけない。それは生活水準を下げるということではなく、快適性はそのまま、あるいはそれ以上にしてエネルギーは減らせる。日本の建物は断熱性能があまりにも低い。現在の日本の次世代省エネルギー基準のトップクラスであっても、ドイツなどの先進国に比べると3倍〜5倍のエネルギーを使ってしまう。そこを改善するべきだ。断熱性能をあげることで、快適かつだだ漏れで使っていたエネルギーを節約できる。具体的には屋根、壁の断熱材の厚さを増やすこと、窓の性能を向上する必要がある。そうやって器の性能をあげ、太陽の日射や風通しを考え、快適性を確保する。そのうえでエネルギーを化石エネルギーから再生可能エネルギーにシフトしてくのだ。 その実証実験が山形エコハウスである。これは災害時にも効果的であった。 地震後の二日間の停電のなか、暖房器具なしで室温は18℃を維持し続けた。
 再生可能エネルギーは場所を必要とし環境の影響を受ける。山形は風況が良い風力発電の適地もあり、森林資源が豊かでバイオマスエネルギーの活用、太陽電池の設置場所もあり、小水力発電の可能性もある。これらは雇用を増やし、今までは地域外に流出する資本を地域内で流通できるようになる。地方それ自体が再生できる可能性を秘めている。この再生可能エネルギーへのシフトは、農業、産業、IT革命に続く第4の革命を言われる。すぐに始めるべきである。私は東北芸術工科大学での活動をとおして、このエコハウスで集めた知見を地域に還元し、このエネルギーシフトを進めたい。