2010年1月31日日曜日

エコロジカル事情 in Japan

エコロジカルな社会
エコロジーというと胡散臭さがつきまとう。それは企業が商品の宣伝のために使われる謳い文句となっているからだ。でも、本当はそれは単なる宣伝で、企業はなにも地球環境のことなど考えていないということを消費者はちゃんと察知している。だから、エコと聞くだけで胡散臭くなる。世の中のほとんどのものは、こういうエコが多い。前提には、経済活動がやはり大事で地球環境のことなどかまっていられないというのが実態だろう。だから、新品の紙を再生して、再生紙にするといった愚行がおこる。でも、もうすこし、ちがった側面から考えると、もっと世界規模のエネルギー革命が起きていることが理解できる。一言でいうと、木を薪で燃やしていた時代から、石炭エネルギーへと代わり、石炭エネルギーが石油にとって代わったのと同じ、化石燃料から太陽エネルギーへのエネルギーシフトが起きているといえる。石炭はすべて枯渇したわけではないのに、石油に変わっていったのは、燃料効率がよく取り扱い安かったからだ。また、比較的安価だったこともある。この石油をつかって、20世紀はさまざまな重化学工業がおき、プラントができ、プラスチックが作られ、自動車が普及した。どのくらい化学産業が重要視されていたのかは、理系の大学の学生の定員を見ればわかる。わたしの母校では、ダントツに多いのが化学である。これらの石油は、アメリカの世界戦略上もたいへん意味がある。メジャーが採掘し、アメリカに大きな富をもたらした。アメリカの中東での影響力の大きさも安全保障上の問題でもある。現在、世界が大きく2分されている富と貧困の分配もこのエネルギーの問題を避けて通れない。世界金融危機を経て、グローバリズムが上手くいかないことが明確になった。このあとは、グローバリズムの方向に進んでいた世界が大きく舵をきり、経済最優先の政策をとらなくなる。これはにわかに信じがたいことであるが、ダボス会議でのサルコジ大統領の演説などから計れるように短期的な経済優先ではないあたらしい価値観の台頭があるべきだと考えるのが正しい。
 しかし、日本は戦後一貫して、価値観の軸を経済優先においてきた。これが確実に教育まで浸透したのが、バブル経済である。それまで、お金儲けは下品だというような価値観が、これ以降はなくなる。そして、日本全体がグローバリズムを受け入れた。その結果として、東京を中心とした太平洋ベルトに人口が集中して、地方は元気がなくなった。これは石油産業を中心とした社会構造の変化の結果である。
さて、石油などの化石燃料が太陽エネルギーにシフトすることは、感覚的に理解できても、それがなぜ今なのか冷静に考えなくてはならない。遠い未来にそうなることは想像がつくが、なぜ今なのか。その説明がつかないと急ぐ理由が見つからない。

国際社会におけるアメリカの相対的な地位の低下
グローバリズムは経済の発展を先進国にもたらすと同時に、アメリカ自身の世界への影響力の大きさも増やし続けた。金融が中心になり、アメリカに富が集中して言ったのが、金融危機でそのシステムが完全にはたらかなくなった。また、BRICSなど新興国の台頭により、世界の秩序の予測がつきにくくなった。今後、経済は多かれ少なかれ、ひとつの地球をめざす単一のグローバル化から少しずつ離れ、その地域に大きな影響力をもつBRICSなどの大きな国家を中心にブロック化していく。ブラジルはサトウキビを原料としたエネルギーを背景に、中国はGDPから得られる巨大な富を背景に、インドは人口を武器に、ロシアは資源と大きな国土を背景に、アメリカの影響を受けないようになっていく。これらの大国の周辺の小国は、日本も含めてその大国との関係を考えざるをえない。その時にもっとも重要なのが、その国におけるエネルギー政策になるのである。その点では資源を求めて、植民地を広げて戦争に至った第2次世界大戦の前のような状況と似ているようにも見えるが、実際はそうではない。単純に資源を必要とした先進国と植民地という図式だけではなく、現在はもっと複雑である。

ヨーロッパの思惑
さて、このような状況下でヨーロッパは半世紀ほどアメリカにイニシアチブをとられ続けてきた。それは各国が小国で、アメリカと相対的に大きな力を持ちえず、資源もさほどなかったからである。強いていえば、文化や思想に優れていても、自国は高い失業率や産業構造の変化など、アメリカについていった日本を横目に見つつ、何もできなかった。その間、じっくり考える時間があったのである。そう考えると今、アメリカのメジャーが支配する化石燃料ではない、低炭素社会の実現に向けて世界のリーダーたらんとしているのは納得できる。また、長いこと試行錯誤した結果、化石燃料がなくてもなんとかやっていけるのではないか。ということを社会のコンセンサスとしてもっている。オーストリアのエネルギー自給率は木材を中心としたバイオマスエネルギーを使用して、40%近い。これは大きな数字に見えないが、現在は完成したわけではないという意識がある。だんだん増えてきての発展途上であるから、このまま設備投資が続けば、なんとかなるという実感が持てる。
 実感をともなったヨーロッパはこの分野で、世界をリードし、影響力を高めようとしている。イギリスで温暖化対策が進められたのは、原子力発電を普及のためだとも言われるが、いずれにしろ排出権をビジネスに、まるでなにもないものを売ろうとしているのには舌をまく。

産油国の事情
石油が枯渇するかどうかの議論は分かれるところであるが、その事自体は大きな問題ではない。石炭が石油に代わったのは石炭が枯渇したからではない。今も石炭はある。社会的に石油にシフトする力が全世界的に働いたからだ。さて、産油国は石油ショック以来、蓄えた富をどう使っているのか。産油国は砂漠の気候を利用し、太陽のエネルギーをダイレクトに電気のエネルギーに代えようとしている。一度、設備を作ってしまえば、太陽エネルギーは枯渇することがないからだ。たとえ、石油が取れなくなっても怖いものはなにもない。経済的にうるおえば、都市化し人口も増え、発展していく。そういうものを見越して、太陽電池の消費国となっていて、日本の企業も多くそこには参加している。

中国の事情
中国の事情は日本には大きな影響がある。中国は地球温暖化に消極的に見えるがそれは違う。先進国との交渉のうえでの、外交カードでしかない。実は国を挙げてもっとも真剣な国である。世界最大の人口に対するエネルギー政策は、一党独裁のもとで徹底している。特に、太陽電池の生産量は日本を抜いている。また、太陽熱温水器の普及も著しい。

技術の進歩
さまざまな研究や試行錯誤の結果から、ヨーロッパでは低炭素社会の実現に自信をもっている。すなわち、2050年には全世界でCO2の排出を半減。ヨーロッパでは60〜80%削減に対しての現実性がある。それは80年代からの試行錯誤の結果である。

日本の事情
さて、日本は1995年比、マイナス25%と言っているが、国民のコンセンサスがないなか、これは暴力的な数字である。まずは、大きな価値観から変えなくてはいけない。まずは国のエネルギー政策としてのエネルギー自給率の引き上げが最優先事項と考えられる。

日本のエネルギーの自給率はたった4%。産油国が値上げをしたい、アラビアの海賊がタンカーを襲ったりしたら、たいへんなことになるのである。

日本の技術は優れていると言われる。トヨタ(この時点でリコール問題が大きな問題に鳴っているが)は世界NO1の自動車メーカーだし、家電も優秀だ。中国でもっとも多く使われているのはコマツのブルドーザーなど。とにかく、日本製の技術は高い。住宅まわりのエアコンの性能(エネルギーの変換効率)は相当高い。また、オーストリアの建築家に言われたが、日本の建設業者のレベルはまだまだ高い。建設数が減っても高い技術がある。

ただ、日本の建設業界は吉田兼好にいまだに振り回されているように思う。
「住宅は夏を旨とすべし」というあれである。エアコンがない時代までは、どちらをとるかといわれたとき、夏をとったのである。これにすきま風がいいというまちがった健康ブームや高断熱高気密に対しての誤解が建物の技術革新を押しとどめている。また、メーカーは必要以上のバリエーションを出すことに専念し、とりとめのない住宅地を作ってきた。

また、商社が積極的に住宅産業に関与し、熱帯地方から木材を大量に安価で輸入したこと、安易な森林政策をとったために森林に関する産業が育たなかったことが複合的に関係し、日本の木の文化はだめになってしまった。

これには、日本の都市の不燃化が深く関わっているが、密集した東京の下町ならともかく、地方の住宅地では隣地との距離を考えれば、木で作ったとしても大きな問題にはならない。現在、ヨーロッパでは木造を積極的にすすめるために、どんどん階数などの制限をあまくしている。どうしてそれができるのか直接現地で聞いたところ、保険会社の調査の結果、木造とそれ以外の構造で大きな違いがないことを確かめるのだそうだ。なるほど、日本でもそういう政策はとれるはずだ。

最後に、日本では大きなメーカーや世界レベルで活躍している企業は世界のトップレベルをいっている。しかし、一般の企業や役所の意識のレベルはやはり低い。エネルギーの自給問題は歴史的にいっても大変重要な問題と意識すべきである。

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