2010年1月31日日曜日

日本の国産材

現在、森は瀕死の状態である。植林されているものの間伐など手入れをされていないからだ。倒木や間伐された材が、人件費がかかるため放置されている。これらが集中豪雨や耐風などの時に、土石流となって麓の町や村をおそう。
簡単には、安い外国産の木が大量に日本に輸入されたこと。林業が植林はされたものの、その後の行政でおざなりにされたこと、後継者が育たなかったことなどが大きな原因である。さて、本当に日本は林業的に貧しい国なのだろうか。
答えは否である。実に日本の国土の67%は森林でおおわれている。木材の成長量を超えない伐採は森林を豊かにする。ただ、放っておいてもダメなのである。昨今、これらの森林資源をエネルギーに使うことも検討されているが、エネルギーのためだけにわざわざ木を切りに行くのもコストが合わない。
まずは、林業を振興させ、産業を起こさなければいけないのだ。木を商品として、算出させることで、好循環が始まり、森が復活する。

小学校の時に、急峻な山だからきこりは重労働だから、後継者がいないと教わったが、オーストリアでは重機(いわゆるユンボ)が普通に走り回っていた。タワーや−ダーという簡易ロープウエイのようなものをつんだトレーラーが山から木を切り出す。1kmの長さもあるような製材所がオートメーション化され、太い丸太がどんどんヨーロッパ中に出荷されて行っていた。一部は、船に乗って日本まで来ているらしい。(変だけど)

日本では、国産材は評判がわるい。乾燥があまく、変形しやすいからだ。流通の仕組みからいって、乾燥してストックしておくこともできないらしい。だいたい、値段がつかないそうなのだ。完全に負のスパイラルに陥っている。

そこで、今回、県のエコハウスは、なんとか市内の木を使えないかと考え、丸太から木を選んだ。それはそれで立派な木である。県の予算で建てる県のエコハウスなので、当然と言えば当然の、地産地消である。
しかし一般に、木を地産地消しようと考えたとき、どこまでが地産地消なのかは、もうすこし、厳密に考える必要がある。

農業で置き換えれば、中国で野菜をつくることは地産地消ではない。ただ、青森からりんごをはこび、鹿児島のさつまいも食べ、熊本のみかんを食べ、山形からさくらんぼとラ・フランスを運び、キャベツを長野から運んでも、それはそれで良いのではないかと思う。実際、西方さんの事務所に訪れた時も、秋田杉を地産地消しろ。と言っても、そんなことしたら産業が成り立たなくなって無理だよね。とおっしゃっていた。
そういう流通は江戸時代からすでにあったのである。

さて、どうしたら良いか。
2つの観点から提案がある。
いずれも農業とのアナロジーでの提案である。

□木材バンクをつくる。
良質の乾燥材がないのが、国産材の欠点であるならば、あるところに資本をプールして、木材を切り出し、乾燥させておく。その資本は銀行などでなくでもよい。これから木で家を作りたい人が組合を作り、木を購入する。十分乾燥したところで、流通に回せばいいのである。ちゃんと乾燥して、狂いにくい(狂わないとはいえない)木材は、生乾きのものより、商品価値は上がるはずである。この資本が大きければ大きいほど、需要と供給はバランスする。

これは、天然住宅をやっている相根(さがね)さんから聞いたことを参考にしている。彼はまた、低温で1週間ほど乾燥し、その後1年ぐらい天日干にすることで、低温燻煙乾燥をやっているとのこと。本来木が持っている殺菌成分などが有効に残るそうである。

□製材所を大規模化する。
製材所の能力は、分散化して小規模だからコストがあがる。乾燥機がちゃんとつかえない。集約する努力はどの産業でも行われていることである。


ここまで書いて感じることがある。実はこれは山の問題だけではない。
消費者の問題でもある。

ある工務店は絶対に集成材しか使わない。狂った後のメンテナンスが大変だからだそうだ。本当の木がいいというのは、誰もがいうが、ちょっとでも狂ったら許さない。そういう建物に対する風土が日本にはある。天然の木だから反ります。とは言えないそうだ。そこをクリアしないと、森の文化は廃れたままだ。

これからの住宅を考えると住宅はますます高断熱高気密になる。室内環境に及ぼす化学物質に関してはより心配をすべきである。材料としての木自体に関して、いろいろと考えるべきである。

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