2012年7月17日火曜日

なぜ、ぼくは原発を反対する様になったか。


 それほどむずかしい話しではないです。もともと、原発のことに興味はなかったです。電気が安定供給されるということが前提の建築という分野での専門家でしたから。ぼくは4人がイーブンパートナーとして活動している建築ユニット「みかんぐみ」のメンバーです。もともと、建築をつくるのが仕事です。建築家としては、それはそれで珍しけれど、4人がミーティングをして、合意したものをつくる。誰か、大先生がいる訳ではなく、4人の創発性を信頼して、ひとつひとつ議論をし、ディスカッションをしてあるカタチを決めるということをしてきています。そこでの議論は大変おもしろく、赤足す白はピンクではなくて、全く違ったものになったりする、そういう事務所です。たとえば、みかんぐみでもエコへの取り組みをやったことがあります。たとえば、愛・地球博のトヨタグループ館。リユースできる細い部材を使い、外壁を紙にしてリサイクルをして、という風に、リデュース、リユース、リサイクルといった3Rを建物で実践しました。建物が紙でできているなんて気がつかない人がほとんどだったかもしれません。でも、リサイクルできる様になっていたし、実際そうしました。リユースするはずの鉄骨に関して、受け入れ先藻決まっていたのですが、そこの市長さんが「中古のものをつかうなんて許さん」といったから残念ですけど、実現しなかったのです。取り組み自体はコンセプトをそのまま実行しているという点で非常におもしろかったと思います。
 さて、そういう経験はあったけれど、いわゆるエコ建築には興味がなかったです。というのも、エコは胡散臭いのです。これはエコだという商品が多すぎて、ちっともエコに思えない。漂白している紙より、生地の紙が高いなど矛盾したことが多くあります。また、リサイクル品を謳うために、わざわざ新品を混入するようなものまで出てきた。その胡散臭さが気になってました。
 そういう中で、大学で建築・環境デザイン学科をまかされることになり、その学科をどの方向に進めていくか考えなくてはいけなくなったので、一つずつ、学科の特徴を書き出して、発表したのですが、箇条書きだったので非常にわかりにくいと言われました。アーチストでもある宮島達男さんが副学長なのですが、彼から「カードにしたら、わかりやすくなるのでは?」といわれて考えたのが、「サスティナブルタウンのための10の提言」です。街全体が元気がないのをどうしたら、経済的にもうまくいくか。街も考えていますが、ぼくらもイベントをやりながら、常に考えていたのでそういうことも含めていろいろ提案していきたいと考えたのです。
 住民参加の方法や意志の決定など、マエキタミヤコさんが環境系のイベントや市民集会を開いていたので、その経験をもとにいろいろ教えてもらいました。そのとき学んだのは、法律(ルール)を決める人と実際に行う行政(官僚)とは違うんだということでした。カフェダイアログをやったり、合意形成ってどういうことか勉強しました。
 山形では、自然が豊かなので1番が自然、2番がエネルギー(当初は資源)、3番が食物、と続きます。その頃は、のどかにサクランボなど農業生産品をつかって町おこしでもしたいと思っていて、絵がサクランボになっています。ところが、この3つ。震災後、この順で非常に大きな意味があったことに気がつきました。私たちの風土、エネルギー、食べ物。今回の原発事故の後、否応なく考えさせられる3大要素です。
さて、先ほども言ったように、合意形成のためのいくつかのカードが入ってきます。住民参加はカフェを中心にと考えて、コーヒーカップ。産業も大事ということ、役所の横断的なチームも必要ということで、プロジェクトチームを加えています。
 その間に挟まれるのが、建築だったり、移動の手段の交通、あるいはその過程でどうしても生産されるゴミだったりするわけです。
 これがぼくが東北芸術工科大学のためにやった初めての仕事です。その次に取り組んだのは、洞爺湖サミットのときの「福田ビジョン」に関して、学科の教員でおしゃべりをしていたとき、「建築はどう変わっていくのか」という問いに、同僚の三浦秀一さんが「実は今の日本のレベルでは対応できない云々」ということに素直に驚いたので、ちょっとそれをちゃんと把握しましょう。というのが次のプロジェクトでした。日本はそんなに遅れているなんて知りませんでしたら、結構新鮮でした。そして、「百聞は一見にしかず」と言って、三浦秀一さんは馬場正尊さんや私をいろいろなところに連れて行きました。
 日本の国内だと、秋田の能代にある西方里美さんの事務所やオーストリアの木材がうまく使われている環境先進地に寒い時期に言ったのです。この一連の話しは「未来の住宅 カーボンニュートラルハウスの教科書」に詳しくまとめてあります。そうやって本にすることは考えをまとめ、遠くに放り投げられる感じがするので、時々そうします。
 さて、エコハウスの本を書いたところ、環境省のエコハウス普及促進事業に参加することができ、大学敷地内に世界最高水準のエコハウスが誕生させることができました。日本一ではなく、世界一を目指す過程で、ドイツのパッシブハウスに明るい森みわさんと知り合いました。建物を徹底的に科学的に考え、かつ、日本の住宅の温熱環境の改善にどう活かそうとするかというパッシブハウスジャパン代表の森みわさんです。
 森さんには客員教授も引き受けて頂いていたので、ある課題の出題をお願いしたところ、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」の映画をみて、そこに登場する祝島の人に何をプレゼントするのか。という課題を出されました。そこで映画をみて、自分の建築という分野と原発がエネルギーということを仲立ちにして、密接につながっているのを始めて知りました。素直に原発についていろいろわかったので、これを自分のレクチャーに取り込んだのです。
 エコハウスをつくってしまうと、現在の一般的な日本の家がエネルギーを浪費することがよくわかり、もっと家単体でエネルギーを抑えつつ、快適な暮らしができるようになるということが’、数値的にも体感的にも理解できるようになりました。一昔前までなら、窓の断熱が極端に低かったのが、その性能が向上するにつれ、今まで通り、日当りや通風を確保しながら、高性能な家を造ることができるようになってきました。そういうことを一度、知ってしまうともとには戻れません。確実に原発をなくしたいと思うようになり、ある覚悟を決めて、建築のレクチャーのなかに、原発の是非を問うスライドをいれたのです。
 そして、そのレクチャーを3月5日にした直後、2011年の3月11日を迎えたのです。ひとつのリニアなストーリーが意味を持ち始めてしまいました。

 さて、そんななか、海外の友人から、「早く逃げた方がいい」と何度も言われましたが、年度末で終わらせなければならない現場の仕事があり、持ち場を離れるわけにはいきませんでした。そういうなか「なぜ、こんな悲惨な事故が起こったのか」と考え続けました。
 そもそも、日本に54基も原発があるなんて知らなかった。今考えれば、恥ずかしいことです。RCサクセションが好きなのですが、忌野清志郎が「サマータイムブルース」を歌っていても、変な歌だなとしか思えなかった。そして、たどり着いた結論はたったひとつ。「ぼくらの無関心」です。無関心がこの事故を起こしたのだと思いました。
 この「無関心」は忙しいぼくらにとっては強敵です。忙しいから、つい考えなくてもいい様に思ってしまう。考えない方が楽だから、、、。という風になっていって、知らない間に54基もつくられた。と考えられるのではないかと思います。
 先ほど、レクチャーをやる際に「こんな政治的なことをぼくがしゃべっていいのだろうか。」とも思いました。でも、これはイデオロギーの問題じゃないんです。安全の問題。イデオロギーを超えた問題。ある人から、「イデオロギッシュにみえることが、推進派の隠れ蓑になっている」のではないかと指摘されました。そうかもしれません。
 日本におけるイデオロギーの差はほとんどありません。日本人はかなり均質な民族だからです。だから、ちょっと違うとすごく目立つけど、実はそう大きな差はありません。
経済と安全に対する信頼感のちがいが今回のデモを巡る対立になっていると思います。あと、いままで同じ方向を向けて、うまくやってきた政府やマスコミに対する考え方がここにきて大きく揺らいでいる様に思います。「まさか、ウソはつかないだろう。」「国のためを思えばこういうことも必要だ」と考えることもあろうとは思います。でも、今の政府はあまりにも酷いと思います。
 色々ありますが、その最大のものにひとつは、反原発投票の扱いです。73万もの署名が何を意味しているか。どれだけの人がそのために署名をしているのか。心配しているのか。そういうことに対して、都議会の投票はその結果のもつ影響の大きさを削ぐように、投票の反対を決定し、都民の意思を無視しました。
 そして、まだ全く収束しない事故の収束宣言。食品の安全基準の異常な緩和。電力体制の責任を追求しないこと。このいずれもが、声を上げた人を無視する結果になっています。lこれは慢心の結果だと思います。「このままおしきちゃっても、そのうちなんとかなるよ。」という風に考えているのでしょう。
 選択肢がなければ、つくればいいと思います。そのためには協力を惜しまないつもりです。なので、きっと出きてきます。そういうチョイスも。

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