2011年7月4日月曜日

「非現実的な夢想家として」

村上春樹さんのカタールニャでの「非現実的な夢想家として」と題したスピーチの全文を掲載します。


 この前僕がバルセロナを訪れたのは、2年前の春のことでした。サイン会を開いたとき、たくさんの人が集まってくれて、1時間半かけてもサインしきれないほどでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性読者が僕にキスを求めたからです。僕は世界中のいろんなところでサイン会を開いてきましたが、女性読者にキスを求められたのは、このバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがよくわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい都市に、戻ってくることができて、とても幸福に思います。
 ただ残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転がわずかに速くなり、1日が100万分の1.8秒短くなるという規模の地震でした。
 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後に襲ってきた津波の残した爪痕はすさまじいものでした。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ遅れ、2万4千人近くがその犠牲となり、そのうちの9千人近くはまだ行方不明のままです。多くの人々はおそらく冷たい海の底に今も沈んでいるのでしょう。それを思うと、もし自分がそういう立場になっていたらと思うと、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せてしまった町や村もいくつかあります。生きる希望をむしり取られてしまった人々も数多くいらっしゃいます。
 日本人であるということは、多くの自然災害と一緒に生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になります。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。それから各地で活発な火山活動があります。日本には現在108の活動中の火山があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、4つの巨大なプレートに乗っかるようなかっこうで、危なっかしく位置しています。つまりいわば地震の巣の上で生活を送っているようなものです。
 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震は予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これがおしまいではなく、近い将来、必ず大きい地震が襲ってくるだろうと言うことです。この20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの巨大地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは1年後かもしれないし、明日の午後かもしれません。にもかかわらず東京都内だけで1300万の人々が、普通の日々の生活を今も送っています。
人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで仕事をしています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 どうしてか?とあなたは尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?
 日本語には「無常」という言葉があります。この世に生まれたあらゆるものは、やがては消滅し、すべてはとどまることなく形を変え続ける。永遠の安定とか、不変不滅のものなどどこにもない、ということです。これは仏教から来た世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し別の脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても無駄だ、ということにもなります。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
 自然についていえば、我々は春になると桜を、夏には蛍を、秋には紅葉を愛でます。それも習慣的に、集団的に、いうなればそうすることが自明のことであるかのように、それらを熱心に観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば人々で混み合い、ホテルの予約をとるのもむずかしくなります。
 どうしてでしょう?
 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。私たちはそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そして、それらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さなひかりを失い、鮮やかな色を奪われていくのを確認し、そのことでむしろほっとするのです。
 そのような精神性に、自然災害が影響を及ぼしたかどうか、僕にはわかりません。しかし私たちが次々に押し寄せる自然災害を、ある意味では仕方ないものとして受けとめ、その被害を集団的に克服していくことで生きのびてきたことは確かなところです。あるいはその体験は、私たちの美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けました。普段から地震に馴れているはずの我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ抱いています。
 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて僕はあまり心配してはいません。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は補修できます。
 考えてみれば人類はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。ここに住んで下さいと地球に頼まれたわけではありません。少し揺れたからといって、誰に文句を言うこともできない。。
 ここできょう僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった6基の原子炉のうち3基は、修復されないまま、いまも周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、海に流されています。風がそれを広範囲にばらまきます。
 10万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。ペットや家畜もうち捨てられています。そこに住んでいた人々はひょっとしたらもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりでなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなるかもしれません。
 どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因は明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことがあり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。どうしてかというと何百年に一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するはずの政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節があります。
 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族のようです。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させることにはあまり得意じゃあない。そういうところはバルセロナ市民のみなさんとは少し違っているかもしれません。しかし今回ばかりは、さすがの日本国民も真剣に腹を立てると思います。
 しかしそれと同時に私たちは、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないはずです。今回の事態は、我々の倫理や規範そのものに深くかかわる問題であるからです。
 ご存じのように、私たち日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という2つの都市が、アメリカ軍の爆撃機によって原爆を投下され、20万を超す人命が失われました。そして生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていきました。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものか、私たちはそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。

核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。
今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。
どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。
 原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。
 まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。
 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 「大統領、私の両手は血にまみれています」
 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
 しかし言うまでもないことですが、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 私たち日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の個人的な意見です。
 私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求するべきだったのです。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、私たちの集合的責任の取り方となったはずです。それはまた我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。
 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは私たち全員の仕事になります。それは素朴で黙々とした、忍耐力を必要とする作業になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなが力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。
 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません。それは私たち全員が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人を励ます律動を持つ物語であるはずです。
 最初にも述べましたように、私たちは「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きています。大きな自然の力の前では、人は時として無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、そのような危機に満ちたもろい世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も私たちには具わっているはずです。
 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけることは、僕にとって大きな誇りです。私たちは住んでいる場所も離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつ私たちは同じような問題を背負い、同じような喜びや悲しみを抱く、同じ世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られるということも起こります。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることをとても嬉しく思います。
 夢を見ることは小説家の仕事です。しかし小説家にとってより大事な仕事は、その夢を人々と分かち合うことです。そのような分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 カタルーニャの人々がこれまでの長い歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、独自の言語と文化をまもってきたことを僕は知っています。私たちのあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
 日本で、このカタルーニャで、私たちが等しく「非現実的な夢想家」となることができたら、そしてこの世界に共通した新しい価値観を打ち立てていくことができたら、どんなにすばらしいだろうと思います。それこそが近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、ヒューマニティの再生への出発点になるのではないかと僕は考えます。
 私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてもなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。
 最後になりますが、今回の賞金は、全額、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そしてまた先日のロルカの地震で犠牲になった人々に一人の日本人として深い哀悼の意を表したいと思います。
 

2011年6月5日日曜日

現時点での原発、エネルギー問題に関して

まずは、原発の安全基準を見直すべきだと思っています。
 福島が安全基準に適っていたのだとすれば、それが壊れている時点で基準の見直しが必要だと思います。まず、基準を公開し、広く意見を求めるべきだと思います。

原発は大きな利権の固まりです。

東京電力=経産省(官僚)=政治家は利権で結びついています。安全基準を甘くし、冷温停止装置をはずし、いままでうまく行っていたんだから、これからも大丈夫。と考えていた。でも、そんなにうまく行かなかった。というのが今回の事故です。でも、彼らは今でも原発を推進しようとしています。政治家は政治献金が欲しいし、官僚は天下り先が必要だし、経産省も独占的な事業は続けたいのです。だから、まだ原発をエネルギーの基軸にと言っている。

菅さんが、毎日のように原発のことで、ふらふらしているように見えます。例えば、浜岡を止めると言った後に、他の原発は止めないと言ったりする。エネルギー基本計画を見直すといった後に、不信任案の話になる。これは管さんが脱原発しようとすると反対勢力が巻き戻して、なにか言わされている。とのいう風に考えるのが自然だと思います。
菅さん自身の問題も多々ありますが、原発に関しては、評価していいと思います。

アメリカが言ったにしろ、原発を止めたら、支持率が上がったことを菅さんも意識していて、そちらの方に舵を切ろうとした。それで、原発推進派は退陣させるため、不信任案に走ったのです。野党は本来は不信任案に大義名分、管がだめなところを指摘して、新しいオルタナティブを提示すべきでした。でも、あまり大きな大義がない。あるいは、さすがに「原子力をやりたい」とは今は言えない。
でも、ちゃんと機能している。例えば、いま地下原発の推進派という超党派の委員会がある。それが代表的な例です。もちろん、鳩山さんとかも入っている。

ですから、今のままではいくら事故の調査や管理がはいってもあまり大きな進展はいない。どうするか現在は犯罪者(作為的にそうなったかどうかは別)が犯罪の原因究明して、裁く状態にあります。それは防がなくはいけない。でも、組織的なものまで追求するのは無理かもしれない。でも、原発推進派の政治家を次の総選挙で選ばないという選択は国民はできます。そうやって意志を示すしかない。また、それが大きな流れになれば、今いる老害と言われる政治家たちを一掃できます。

さて、原発は本当に必要かという議論がないのは片手落ちです。
やはり、私は実感として必要ないと確信しています。あまり、言い切りたくもありませんが、やはりいくつかの点から必要ないと思っています。
一方、「原発がないとだめだ。」という意見は、原発推進派から発せられた、原初推進のためのメッセージだということに気がつくべきだと思います。。端的な例を挙げれば、東海村の処理施設の問題があったときに、稼働中の原発を全部一回止めたけど、特に問題はなかったということがあげられます。それが一つ。

まず、電気は1/4が家庭用、3/4が事業用です。今年の夏はメーカーが変則的なシフトを組んでピーク時にできるだけ、営業しない努力を使用としていますが、それを実体的に制度的にするような仕組みにすればよいのです。例えば、ピーク時になると電気代が高くなるようにすればいい。そうすれば、ピークは抑えられます。でも、そういう話にならないのは、そういうことで解決してしまうと、原発が必要という論理にはならない。ということが経産省や電力会社にとって不都合なので、やらないと言えます。

中期的にはこれから原発が老朽化していくときの更新の問題があります。福島でも老朽化していたのを動かしていて、壊れたのですから同じような年代の原子炉は廃炉になります。結果的にはこれは減っていくのです。

さて、日本には自然エネルギーの点で、すぐれた技術がいくつもありました。太陽電池は当初、日本のものがダントツで一位でしたが、あれよあれよとドイツ、スペインに抜かれました。いまは中国、韓国、アメリカにも抜かれて、結果7位になっています。これは原発を推進する電力会社が政府に圧力をかけ、補助金の制度を取りやめた点です。また、送電分離も同じようにつぶされてしまい。スマートグリッドもいまだ、実現していません。
一時期、はやった周波数の統一の問題も、政府が決めればいいのです。これは、国家的な安全保障の問題です。

果たしてうまく行くかは先進国の事例をちゃんと学ぶべきだと思います。ドイツやオーストリア、スペイン、北欧の国々。日本の技術はすごいと自分で信じていますが、そう思っていて、慢心してしまったと思います。慢心しているから、素直に人に学ぼうという気持ちはなくなってしまった。これはすごく残念なことですが、まだ間に合うと思います。そこから見ると、ドイツなどは自然エネルギーの発電量が10年で10%という勢いで増えています。主には、太陽電池と風力です。それをやっていけば、日本もできないはずはありません。

さて、1/4の家庭用の電力に関しては、住宅からでるエネルギーをどんどん減らしていくべきだと考えています。実際、エネルギーという観点で、住宅を見た人はあまりいないのかもしれませんが、実に無駄が多い。また、多くても大丈夫な社会的な仕組みが出来上がっていて、それだから無駄使いしているという点もあります。まずはそこを変えないといけないと思います。原発があって、贅沢でも危険。というエネルギー手段をとるか。原発なしで、節電。危険なしという選択をとるかということです。
持論として、エネルギーが少なくても、快適性は損なわない住宅をつくることは技術的にできます。ちょっと断熱材を多くし、窓を高性能にする。その上で、日射や通風を活かした住宅にすればいいのです。そうして、新築はもちろん、改築したものもエネルギーを出さなくすることが実際に可能です。具体的には新築住宅にもエネルギーを使わないような省エネルギー性を義務づければいいわけです。ヨーロッパでは2020年頃をめどに、すべての建築をカーボンニュートラルにすることで法制化の準備が進んでいます。
ですから、これに準じるようにしていけばいいわけです。日本の技術をもってすれば問題なく追いつけると思います。

あと、見落とされがちなのが、人口減少の問題です。あと、40年経つと日本の人口は8500万人ほど、現在の65%にまで減ります。そこに現在と同じエネルギーが必要とも思えないのです。この効果はおおきいです。ただ、この問題はエネルギーだけではなく、他のいろいろな問題ともリンクしているので、すこし、別の問題です。

さて、ここまで書いてきて、未来はともかく現在どうするのかという問題にぶちあたります。まずは、福島の事故の補償の問題。何人もの人が言っていますが、高速増殖炉などのまだ使えない(2050年以降)技術に投資するのを一度やめて、補償費にまわしたらいいと思います。そして、東北の復興には自然ネルギーの特区にして、日本全国に先駆けて、投資をすべきと考えます。これが非常にいいのは、投資した後は、自立的にうまく回っていくと思われるからです。メンテナンスが雇用を産み、利潤がでれば再投資ができます。化石エネルギーとちがうのは、支払ったお金が戻ってくる点が大きく違います。化石は産油国にお金がいってしまうが、地方に投資された分は産業になります。

さて、こういった事態にどう対応するか。
こんな状態どうやれば変えられるか、 よく人に聞かれます。

まずは。

・情報がちゃんと流れるようにしなくてはいけない。
・その上で、自分だったらどうするか考えて、声を出さなくては行けない。

だと思います。

情報がないことで、いろいろなことを信じ込まされたりしているのが現状だと思います。
だから、twitterとかで信用できそうな人の情報をどう取り入れるかが大事だと思っています。いくつかの場所の情報を多角的に見ると、間違いにくいと思います。情報をどう使うというリテラシー(能力)の問題だと思いますね。たとえば、福島県の小学校、中学校のグランドの放射線量の計測の問題はいい一例です。グラウンド20mSv/年 問題は父兄たちの願いでなんとか、文科省は1mSv/年を目標にしました。でも、経産省は相変わらず、そのままです。そのように、なにかおかしなことを言われたら声を上げなくてはいけないんだと思います。多角的な情報をどう取り入れるかは訓練がいると思います。



 

2011年6月3日金曜日

亀や 雲の中のような空間

夕日の眺めがすばらしい湯野浜温泉 亀やで東北芸術工科大学の学生が中心になって、部屋の一室を改装しました。学生は6人ぐらいのチームで。監修は馬場正尊さんと私。副手の古川さんが実施設計を手伝いました。グラフィックは大学の中山ダイスケ。ベッドの枕元にあるクッションは安東陽子。総合ディレクションは吉村靖孝さん、プロデューサーは小松裕行(KKHK)。

HOURAIを雲のような空間として、ふわふわしたものをつくろうというのがコンセプト。


視界を広く取れるようワイドフロンテージに。最大の幅の窓。


窓の外はあいにく曇り空。


ベッドスペース。NUNOの安東さん製作のクッションカバー。

  

カスタマイズされたフレーム

さて、すっかり報告が遅くなってしまいましたが、山田町その後です。町役場の小原さんによると設営した次の日に、春一番が吹いてそれまで使っていたテントが飛んでしまったそうで、設営はベストタイミングだったと聞きました。
もともとニコニコフレームは間仕切り用に考えられていて、建具とかがついていません。木造なので、加工もしやすく、とにかく、シェルターとしてのかたちをつくることを優先しました。ある意味、未完成、またはカスタマイズする余地があると言えます。
私たちがフレームをつくったあと、町の大工さんがいろいろ工夫してくれ、いろいろなカタチに発展しています。

フレームのかたち

テントの布地で防水が強化され、窓がついた。風で飛ばないよう、ロープで固定されている。

炊き出し場として使われている。棚や照明も一工夫。
アプローチも工夫され、庇や床もすのこで。

ホースリールを利用したシンクの水栓。うなるディテールである。

まったくちがったファサードの展開も。これはもう一台のバリエーション。

2011年5月7日土曜日

ニコニコフレームの報告

ニコニコフレームの組み立てを岩手県山田町で行いました。
ニコニコフレームは以前も紹介しましたが、素人でも簡易に組み立てられる木造のフレームユニットです。
間口2.5mx高さ2.5mx5mです。なぜこの大きさかというと、トラックに乗せられる最大の大きさだからです。

設計はパッシブハウスジャパン代表理事で東北芸術工科大学客員教授の森みわさん、同准教授の馬場正尊さん、そして私です。3月に学科の課題を相談するために集まったのですが、被災地になにかできないか話しているうちにまずはつくってみようと言う話になりました。
そこで、東京の外苑キャンパスでまず組み立てたのが始まりです。
そこでは2週間展示をして、さて、本番です。

当初は室内間仕切りを考えていましたが、どうやら室外でも行けそうだと屋根や床のおさまりを考えたのが、version2です。

宮崎の川島木材がつくっていますが、別に汎用的な技術なので、他でもつくれる可能性はあります。でも、原段階では、宮崎でつくるのが決定的に安価にできています。屋外型ユニットで26万円、フレームのみで19万円です。この価格は震災地応援価格なので、一般にはもう少し高くなります。一般の仮設住宅が350万円と比べると破格に安いこともわかります。宮崎はさすがに遠いので、運搬費がおそらくネックになるだろうと思われます。あるいはまとめて発注して一気に運ぶと良いのかもしれません。

さて、今回の山田町へ3棟寄付しました。山田町の沿岸部は津波に襲われていて、沿岸部は壊滅的な状態でした。避難所になっている体育館の炊事場がなくテントで行っていたのを衛生的に問題があると、スーパーハウスのような建物がほしいとの連絡を、現地でボランティアをしている学部4年生の菅谷くんからもらったのがきっかけです。

山田町の様子

私たちが伺ったのは山田町南小学校で、体育館の横と保育園の前に2棟建てました。
まずはみんなでミーティング。




さて、記号にあわせて並べていきます。


そして柱と土台をつなげる。


ピンをさして、トンカチでたたくだけ。誰でもできます。私はときどき空振り。地元のおじさんにまかせることに。


続いて床組み。床は杉の台形集成材。厚さが50mm


大引(小梁)を並べます。


床は杉の台形集成材50mm。


床を張ったら、上の方を固めます。


昇り梁をかけていきます。


屋根材は杉板20mm。乗ってもこわくない安定感。釘うちをしているのは私。



いよいよできてきました。屋根にはタイベックシートを張ります。

もう一台は保育園の前。場所が変わっても、施工性の良さはばっちり。



私たちは2台で時間切れ。3台目は翌日、町の人につくってもらいました。
2軒が終わった時点で内部に入りました。木の香りがとてもいい感じの空間です。



興味のある方、ご連絡ください。
メールの場合はこの返信フォームに。
あるいは、電話での問い合わせは山形エコハウス 亀岡まで。0236-73-9518(10:00〜16:00)

ニコニコフレームの報告

ニコニコフレームの組み立てを岩手県山田町で行いました。
ニコニコフレームは以前も紹介しましたが、素人でも簡易に組み立てられる木造のフレームユニットです。
間口2.5mx高さ2.5mx5mです。なぜこの大きさかというと、トラックに乗せられる最大の大きさだからです。

設計はパッシブハウスジャパン代表理事で東北芸術工科大学客員教授の森みわさん、同准教授の馬場正尊さん、そして私です。3月に学科の課題を相談するために集まったのですが、被災地になにかできないか話しているうちにまずはつくってみようと言う話になりました。
そこで、東京の外苑キャンパスでまず組み立てたのが始まりです。
そこでは2週間展示をして、さて、本番です。

当初は室内間仕切りを考えていましたが、どうやら室外でも行けそうだと屋根や床のおさまりを考えたのが、version2です。

宮崎の川島木材がつくっていますが、別に汎用的な技術なので、他でもつくれる可能性はあります。でも、原段階では、宮崎でつくるのが決定的に安価にできています。屋外型ユニットで26万円、フレームのみで19万円です。この価格は震災地応援価格なので、一般にはもう少し高くなります。一般の仮設住宅が350万円と比べると破格に安いこともわかります。宮崎はさすがに遠いので、運搬費がおそらくネックになるだろうと思われます。あるいはまとめて発注して一気に運ぶと良いのかもしれません。

さて、今回の山田町へ3棟寄付しました。山田町の沿岸部は津波に襲われていて、沿岸部は壊滅的な状態でした。避難所になっている体育館の炊事場がなくテントで行っていたのを衛生的に問題があると、スーパーハウスのような建物がほしいとの連絡を、現地でボランティアをしている学部4年生の菅谷くんからもらったのがきっかけです。

山田町の様子

私たちが伺ったのは山田町南小学校で、体育館の横と保育園の前に2棟建てました。
まずはみんなでミーティング。




さて、記号にあわせて並べていきます。


そして柱と土台をつなげる。


ピンをさして、トンカチでたたくだけ。誰でもできます。私はときどき空振り。地元のおじさんにまかせることに。


続いて床組み。床は杉の台形集成材。厚さが50mm


大引(小梁)を並べます。


床は杉の台形集成材50mm。


床を張ったら、上の方を固めます。


昇り梁をかけていきます。


屋根材は杉板20mm。乗ってもこわくない安定感。釘うちをしているのは私。



いよいよできてきました。屋根にはタイベックシートを張ります。

もう一台は保育園の前。場所が変わっても、施工性の良さはばっちり。



私たちは2台で時間切れ。3台目は翌日、町の人につくってもらいました。
2軒が終わった時点で内部に入りました。木の香りがとてもいい感じの空間です。

ニコニコフレーム