2010年7月6日火曜日

世界第3位の国

あれっ、日本は今世界でGDPが何位だろうって思って、インターネットで調べた。その資料は2008年までしかなかったので、日本はアメリカについで2位。現時点では中国に抜かれて第3位のはずだ。
2008年のデータでは、世界が5500兆円、アメリカ1426兆円、日本492兆円、ドイツ366兆円、フランス286兆円、イギリス267兆円と続く。人口あたりでいくとアメリカは日本の2倍程度の人口で3倍だからやはり豊かだ。中国は日本を抜いていても人口あたりにすると10分の1程度。ヨーロッパはやはりそれなりに豊かだ。
ところが、日本にいるとそんな気は全然しない。いったいどうなっているのだろうとすら思う。中国人が日本の国債を買っているからかもしれない。でも、世界第3位といえば、ダントツ、トップクラスである。世界3位の国の人が将来を悲観していたら、世界はもっと悲観しなくてはならないが、ワールドカップではみんなもっと楽しそうだ。別にそれだけではないが、国民一人あたりの所得は低いはず。
一方で確かに不安材料は多くある。少子高齢化に伴う労働力の低下。国家の予算90兆円に対しての、国債発行44兆円。公債の残高880兆円という歪な予算の構造。政権交代してもあまり変わらない政治。リーマンショックに続いてこの先、景気がどうなるかわからないという不安。あと、高齢者が豊かでそれ以外ではそれほどでもないという説。昼間のフィットネスクラブのヨガ教室はそういう人だらけだと家人がいう。
そういったものをうけて、国民の幸福度はそれほど高くない。みんな不満というより、不安である。この先どうなってしまうのだろうという不安。この国がどこに向かっていくかまったく見えない。
借金漬けと言ってもまだ、破綻したわけじゃない。これからそうなるかもしれないという不安である。ただ、それに向かってなにも動けないといういろいろな制度の硬直度が問題である。
いろいろ調べていくと、借金漬けでも、黒字に向けての財政改革では、予算を11.4〜14.3兆削減すればよい。通常予算90兆からみたら、2割削減で良いのである。特別予算も入れれば、200兆のなかで考えればよい。フローで動いているお金の5%だ。すこし、財布のひもを絞ればよいだけのような気がする。ところが、実際は拡大成長を前提としているので、財布のひもはなかなかきつく縛れない。
いっそ、民間の会社立て直し会社でもいれて、無駄な公務員をリストラしてみるのがいいように思う。

2010年7月5日月曜日

山形県幹部職昇進研修に関してのメモ

現在のニッポン(しゃべってないことも調べたことは全部書いてあります。)
2050年というキーワードでの研修


世界3位のGDPを持ちながら、あまり豊かにはおもえない。
先が見えぬからではないか。指導者の年齢が心配。世界のリーダーはいま40代(オバマ48、キャメロン43、メドベージェフ45。菅さんは63。2050年のことまで責任をモテない。)世界のGDP 5431兆円、アメリカ1839兆円、日本492兆円、中国440兆円後に、日本を抜かす。ドイツ366兆円、フランス286兆円、267兆円イギリス、231兆円イタリア、167兆円ロシア。スペイン161兆円、ブラジル157兆円。G20、2013年までに日本を除き、財政赤字を半減。2010年日本の事情、88兆の予算。(特別の歳入入れると200兆。剰余金180兆超えると言われる。)24兆社会保障、20兆国債償還、16兆地方交付金。これで全予算の2/3。全部の借金882兆。年間、11,4〜14.3兆の歳出削減。健全化には5%削減。難しくなさそう。(←ここだけ、わたしの感想。他はYahoo! news 国家財政やwikipediaから転載。GDPに関しては概算として、1USd$=100円で計算)

一方で、2050年には人口が8500万人。1970年代レベルに。
山形の人口は120万人から80万人程度になる。現在
これも都市部に集中すると郊外部の人口は60万人から20万人。
都市部に山形から人が流れたら、もっと人は少なくなる。
限界集落や消滅集落も出てくるかもしれない。
ほんとは、中心市街地を農業や林業のものを持ち込んで、農家レストランなど作ったらよいのではないか。あるいは福祉や医療の町を造るべき。でも、中心市街地は商工課、農林業は別の課。いまのままの組織では横断的な取り組みができない。
また、人口減による歳入の減少も考慮すべき。民間が使えることは、銀行の窓口業務のように民間へ。(銀行では窓口業務はほとんどが派遣。)市民と共同しながら働く職員のイメージを説明。

環境的には2050年には世界でCO2削減50%。先進国は80〜90%削減。
2030年に鳩山さんが国連で25%削減を約束。代表が変わっても約束は約束。
USAは2030年までにカーボンニュートラル化、EUは2020年までにカーボンニュートラル化。住宅はいろいろなエネルギーのなかで劣等生。バイオマスエネルギーはCO2の排出量を数えないこと説明。原子力はCO2は出さないが危険なことを紹介。試算では1000基以上の発電所が必要。日本のクルマがそうしたように燃費の性能をあげ、断熱性能を上げるべき。その上で、自然エネルギーへの切り替えを。山形エコハウスの紹介。(土日に観たいとの要請が。)1地元材の活用。2省エネルギー。3バイオマスエネルギー、太陽電池などの自然エネルギー活用。エコハウスはプラスエネルギーハウスとして機能していることを説明。

2010年5月25日火曜日

中心市街地の活性化

今までのような商店街に戻すのは所詮不可能である。ただ、商店街が存在意義を失ってしまうかというとそれもまたそうは思わない。ただ、いままでどおりの方法でやっていても対処療法的にならざるを得ない。
いくら中心市街地活性化の資金(略して中活)をいれても、そんなの意味ない。
世代交代しない商店街に先はない。もっと根本的に直していかなければならない。
ではどうするか。

□商店街を高齢者の町にする。
まずはクルマに乗って、郊外型ショッピングセンターに出かける人を呼び戻す必要はない。ショッピングセンターは便利にできている。それにはそれの理由がある。便利に作れば、人が来ることがわかっているからだ。そうできているが、耐久性はない。そこにコストを描けると回収しにくくなる。だから、ときどき新陳代謝して、古いところはつぶれて、新しいところにできる。だから相手にしてはいけない。
でも、クルマに乗ることが億劫になった高齢者にとって、その移動は死活問題になる。基本、歩いていける商店街は歩いて来られる人を対象にすべきである。商店街がいくら駐車場を作っても、ショッピングセンターには負ける。

さて、高齢者にとって歩いていけるところにある町は重要である。クルマにしか乗れなくなったら、デイサービスの送迎がついて、デイケアで車いすに乗ってしまう。そうなると退化していく。歩けるうちは自分で歩くことが重要である。中心市街地は実は、安全と安心がある町である。声がけ運動など復活させたらよい。それが商店街の魅力になる。
だから、住宅を誘致する必要がある。住宅をたてやすいように、融資をすればいい。あるいは、中心市街地に住宅を建てると固定資産税をさげればよい。それ以前に、中心市街地の土地の評価をちゃんとしなくてはいけない。おそらく高止まりをしている。あるいは、住宅を建てることに補助しなくてはいけない。

□病院や地域医療の出張機関とする。
住宅があって、商業があって、あとは病院や地域医療の出張期間が必要だ。とにかく、出かける場所が必要である、そういうコミュニティの場所を作る必要がある。もちろん、商店街も努力する。目指す雰囲気は巣鴨のような場所である。歩いて病院に通う。

□若者に起業ささせる。
さて、そこで必要なのは新しい活力である。これは若者に限る。いままでの既存の考え方ではサービスに新しさが生まれない。ぜひ、若い人に託すべきである。これにまちづくり的な要素を加えることも必要である。

□どんな町にするか。
実はもう一つの要素がほしい。その町が他の町とちがう何かがほしい。エコロジカルな新しさでもいいし、商業的ななにか、あるいは歴史的ななにか。なんでもいいが、隣町とはちがうこと。それが重要だ。町の人はあるのが当たり前になって、とても魅力的なことに気がつかないことがおおい。外部の目を入れて、なにが特徴か判断しよう。

っていうことを県の課長相手に午前中しました。そしたらそれは、すでに都市政策の問題で、首長さんがよほど積極的にやらないとできるはずがないと言われてしまいました。
なるほど、そうかもしれない。

そこで、そういうことを積極的にやる首長さん、大募集です。
ちなみに山形県や東北に限りません。

2010年5月16日日曜日

エコハウスのデザイン

まず、この山形エコハウスは、おそらく日本に現在あるエコハウスの中でも、かなりな高性能な建物である。それは熱貫流率といった数字で表される器としての性能である。この数字はクルマを語る時の燃費の話しと似ている。燃費がいくらかは経済性にとって大事だが、クルマを評価するときの一部のデータでしかない。燃費がよいクルマは、それはそれで魅力だが、クルマの魅力は燃費が勝負だ。というのは間違いである。クルマの魅力は他にあるように、住宅という建築に関してはこの性能はひとつの指標でしかない。
そうはいっても、この器の性能の高さはそれだけで大きな魅力である。なんといっても、省エネルギーが徹底されているので、設備の負担が小さく、冷房や暖房の設備が目立たない。暖房や給湯のペレットボイラは十分に小さいし、冷房はエアコン1台である。これで実際に足りているかは実証実験の大きなポイントだが、大きな問題はないだろう。
 さて、設計を進めていく上で熱のデザインに関して、十分に検討した。器の断熱性能のために、太陽熱を効率的に使う必要がある。夏の高度が高い太陽光線を遮り、冬の高度が低い太陽光線を取り入れる。断熱性があがると中間期の日射の進入が問題になるが、熱をこもらせなければよい。これらのことは、エコハウスと言わずとも、普段の設計でも当たり前に考えることである。
また、中間期から夏期にかけての室内の通風も考えなければいけない。これも、通常考えることである。エコハウスと言っても通常の設計と何ら変わらないのである。技術の問題は、程度の問題であって、数字の問題であるが、それは設定の問題である。どこに設定するかは社会の制度の問題にも密接に絡むが、設備のイニシャルコストが下がるというところまでで設定しないとあまり意味がないように思う。さて、ここまでは自然の力をうまく使いデザインに取り込むということは今までの住宅の設計となんら変わらない。
 ただ、ちがう点は大きく一つある。器の性能があがっているので、熱の出入りがない。したがって、空気の対流も起きず、空気の温度はどこをとっても一定なのである。だから、2階の気温が高く1階が低いということがない。だから、吹抜けがあっても全く問題ない。空気がひとつながりでワンルームにできる。どこまでも空間がつながるから、場所が連続的になる。空間的にはこれはいろいろとおもしろい。閉じることができることも必要だが、開けたらすべてがつながっていくという空気のデザインができる。そこでできたのが、今回のエコハウスである。未来の住宅に書いたように、空間がより連続するように半階あがったスペースを設け、その地下を設備置き場とした。ここは薪ではなく、ペレットなど設備的なものもおかれている。

さて、外観は木を素地で使った。塗装しないと色が変わるのは織り込み済みである。変色したシルバーグレイの佇まいを目指している。古来より家は木でつくられ、そのように変色していた。現代の生活を成り立たせる室内環境でこれが同じことができるかどうか。これもひとつの実験である。形に関しては、太陽光パネル、太陽熱温水器などの効率から南側の長い切り妻を選択した。山形でもよく見かける形である。今回の普及啓発のための第1弾として、当たり前の形を選択した。ただ、これは敷地の形状、方位などさまざまな条件で色々なバリエーションがあると考える。

2010年2月13日土曜日

用語解説1 新住協

まず、最初に新住協の話をしよう。新住協は新木造住宅技術研究協議会の略である。
ホームページはこちら。http://www.shinjukyo.gr.jp/
全国の工務店が組織しているNPOである。技術指導者は室蘭工業大学の鎌田紀彦先生である。北海道では元来、木造住宅が適していないと言われていた。断熱材をいくら多くしても、木材の部分で結露してしまい、木が腐るということが多くあったからだ。断熱を多くしても、外壁に接している部分は十分に冷たい。そこに、温暖な空気が入り込むために結露してしまうのである。ちょうど、冷たい水のコップが汗をかくのと同じ原理である。
そこで、そこに蒸気が行かないように、ビニルのシートで遮断しようというのが気密住宅である。気密住宅というのは、そこにビニルシートを使うのである。これに関しては、なんといってもネーミングが悪かった。すごく息が詰まりそうな印象を受けるからである。防湿シートとでもいっておけば、印象は大きくちがう。気密シートなんか使ったら、木が呼吸できないというのも嘘である。シートは室内側に一枚。外側は通気層をとって、壁のなかの空気を流すようにする。結果、木の部分には、夏も冬も空気が流れる。
要は、室内の温かい空気に含まれた水蒸気が、壁の中で悪さするのを防ぐのである。知人の家では、冬は室内の空気が感想してしょうがなかったのが、気密シートを貼ってから、ちっとも乾燥しなく、お肌すべすべであるそうである。
だいたい、息がつまるという人は窓をあけることをお勧めする。それは、完全に迷信であると伝えたい。
そういうことを鎌田先生は北海道の地元の工務店と一緒に開発してきた。私が気に入ったのは、これが十分に科学的であるからだ。また、机上の空論に終わらず、工務店との実践で出てきているから。
 実際の計算はQPEXという計算ソフトがある。これで熱貫流率を計算する。Windowsで使えるエクセルのマクロである。また、気密シートを貼る場合、あとから貼るとどうしても気密が取りづらい。したがって、建て方の時に、気密シートを予め、仕込む必要がある。これを先張り工法という。

2010年2月4日木曜日

制度の不整合

エコハウスを進めていく上で、実施設計段階から変更を迫られたのは内装制限などに対する考え方である。

いくつかあって、
ペレットボイラはボイラなので危ない。したがって、そこを火気使用室として扱わなければならない。これで変な場所に垂れ壁ができてしまった。また、キッチンのコンロもそうである。台所を不燃の区画にしなければならないため、木の仕上げのある部屋との間に、ガラスの垂れ壁が。実質的にそれが効果的なら、やむを得ないがほとんど意味がない。そのなかで解釈に幅があるものがある。先程のボイラはだめで、ストーブならよいのである。実は、このエコハウスに、薪文化の象徴ということで、薪ストーブもはいっていた。薪ストーブに至っては、移動できればストーブで、移動できないものはあぶない火気であるとのこと。わたしにいわせれば、いちいち移動している方がよほど危ない。木をつかうことと安全の問題はうらはらで、十分に安全対策しなければいけないことはもちろんだが、制度が一人歩きしている。

もうひとつは、水道に関して。
工事がはじまって大きな障害が。
今回、雨水を中水としてトイレに利用としたが、それはかなわなかった。上水と直結させてはいけないとのこと。受水槽が必要だそうだ。住宅に受水槽はどう見ても過剰設備である。したがって、トイレの中水利用はあきらめ、雨水は庭の水撒き程度になってしまった。水道局の担当者の問題ではない。これから先の水に対しての考え方を大元から見直す必要がある。

2010年1月31日日曜日

森 みわさん 登場

ほぼ同時期に私たちの「未来の住宅」という本と森さんの書いた本が出た(「世界基準のいい家を建てる。」PHP出版)ので、まず読んでいろいろ話を聞いてみたいと思った。また、せっかくのエコハウスなので、パッシブハウスにできるかどうか興味があった。

鎌倉にパッシブハウスを建てているとのこと。まず、その断熱性能の高いものを温暖な関東でやっていることに興味があった。鎌倉といってもそれなりの大きさの町である。だが、その家は私の実家のすぐ近くにあったのである。わたしの家もそうだったが、鎌倉は谷戸といわれる谷が多く、南側が空いていたとしてもその谷によって日射が遮られる場所は多い。そのネガティブな条件に対しての計算を含めて、さまざまなスペックが決められたと聞いた。

また、びっくりしたのは、西方さんをはじめ、鎌田先生とも交流がすでにあるという。住宅の温熱環境の研究者とも意見交換をしているとのこと。西方さんのブログには森さんの設計した家の断熱施工の様子が出ているではないか。

この問題を共有しようとしている人は多くいるし、皆行動的である。

そこで、早速、このプロジェクトに合流をお願いして、検討することになったのである。

Q-1住宅

Q-1住宅は室蘭工業大学の鎌田紀彦さんが中心となった新住協という団体で進めている高断熱高気密住宅のことである。Q値は熱貫流率。この数字が小さければ小さいほど、断熱性能が高い。

現在、北海道がⅠ、北東北や長野などの寒い地域がⅡ、南東北Ⅲ、東京以西Ⅳ、沖縄Ⅴという地域での、次世代省エネルギーの基準が北から順に1.6 1.9 2.4 2.7 3.7という数字であわらされていることから、比較するとQ値=1.0というのはいかに、小さい数字かということになる。

日本の次世代省エネルギーが要求するQ値レベルは、とてもあまい。

これをヨーロッパと比べると、とても比べられるものではない。
ヨーロッパのパッシブハウスという基準は、Q値ではなく、単位面積当たりの消費エネルギーで計算する。

15kWh/m2・a(一年間、Ⅰ平米あたり15kwh 1kWh=石油1.5リットル)
を器として要求する。簡単にいうと、 100㎡の家であっても、150L、ポリタンク7個半、年間17,000円のエネルギーで済んでしまう。ヨーロッパは2019年、公共建築のオール、カーボンニュートラル化、2021年にすべての建物のカーボンニュートラル化を義務づけようとしている。その時、参考になるのがこの15kWh/m2・aの基準なのである。

これは地域にもよるがQ値が0.6から0.7の水準である。
このレベルの住宅は日本にはまだ、2件しかない。
森みわさんがつくった「鎌倉の住宅」と能代の西方さんが作られた「臥竜山の家」の2件である。

日本の国産材

現在、森は瀕死の状態である。植林されているものの間伐など手入れをされていないからだ。倒木や間伐された材が、人件費がかかるため放置されている。これらが集中豪雨や耐風などの時に、土石流となって麓の町や村をおそう。
簡単には、安い外国産の木が大量に日本に輸入されたこと。林業が植林はされたものの、その後の行政でおざなりにされたこと、後継者が育たなかったことなどが大きな原因である。さて、本当に日本は林業的に貧しい国なのだろうか。
答えは否である。実に日本の国土の67%は森林でおおわれている。木材の成長量を超えない伐採は森林を豊かにする。ただ、放っておいてもダメなのである。昨今、これらの森林資源をエネルギーに使うことも検討されているが、エネルギーのためだけにわざわざ木を切りに行くのもコストが合わない。
まずは、林業を振興させ、産業を起こさなければいけないのだ。木を商品として、算出させることで、好循環が始まり、森が復活する。

小学校の時に、急峻な山だからきこりは重労働だから、後継者がいないと教わったが、オーストリアでは重機(いわゆるユンボ)が普通に走り回っていた。タワーや−ダーという簡易ロープウエイのようなものをつんだトレーラーが山から木を切り出す。1kmの長さもあるような製材所がオートメーション化され、太い丸太がどんどんヨーロッパ中に出荷されて行っていた。一部は、船に乗って日本まで来ているらしい。(変だけど)

日本では、国産材は評判がわるい。乾燥があまく、変形しやすいからだ。流通の仕組みからいって、乾燥してストックしておくこともできないらしい。だいたい、値段がつかないそうなのだ。完全に負のスパイラルに陥っている。

そこで、今回、県のエコハウスは、なんとか市内の木を使えないかと考え、丸太から木を選んだ。それはそれで立派な木である。県の予算で建てる県のエコハウスなので、当然と言えば当然の、地産地消である。
しかし一般に、木を地産地消しようと考えたとき、どこまでが地産地消なのかは、もうすこし、厳密に考える必要がある。

農業で置き換えれば、中国で野菜をつくることは地産地消ではない。ただ、青森からりんごをはこび、鹿児島のさつまいも食べ、熊本のみかんを食べ、山形からさくらんぼとラ・フランスを運び、キャベツを長野から運んでも、それはそれで良いのではないかと思う。実際、西方さんの事務所に訪れた時も、秋田杉を地産地消しろ。と言っても、そんなことしたら産業が成り立たなくなって無理だよね。とおっしゃっていた。
そういう流通は江戸時代からすでにあったのである。

さて、どうしたら良いか。
2つの観点から提案がある。
いずれも農業とのアナロジーでの提案である。

□木材バンクをつくる。
良質の乾燥材がないのが、国産材の欠点であるならば、あるところに資本をプールして、木材を切り出し、乾燥させておく。その資本は銀行などでなくでもよい。これから木で家を作りたい人が組合を作り、木を購入する。十分乾燥したところで、流通に回せばいいのである。ちゃんと乾燥して、狂いにくい(狂わないとはいえない)木材は、生乾きのものより、商品価値は上がるはずである。この資本が大きければ大きいほど、需要と供給はバランスする。

これは、天然住宅をやっている相根(さがね)さんから聞いたことを参考にしている。彼はまた、低温で1週間ほど乾燥し、その後1年ぐらい天日干にすることで、低温燻煙乾燥をやっているとのこと。本来木が持っている殺菌成分などが有効に残るそうである。

□製材所を大規模化する。
製材所の能力は、分散化して小規模だからコストがあがる。乾燥機がちゃんとつかえない。集約する努力はどの産業でも行われていることである。


ここまで書いて感じることがある。実はこれは山の問題だけではない。
消費者の問題でもある。

ある工務店は絶対に集成材しか使わない。狂った後のメンテナンスが大変だからだそうだ。本当の木がいいというのは、誰もがいうが、ちょっとでも狂ったら許さない。そういう建物に対する風土が日本にはある。天然の木だから反ります。とは言えないそうだ。そこをクリアしないと、森の文化は廃れたままだ。

これからの住宅を考えると住宅はますます高断熱高気密になる。室内環境に及ぼす化学物質に関してはより心配をすべきである。材料としての木自体に関して、いろいろと考えるべきである。

山形エコハウスの環境性能 プロポーザル

山形エコハウスは以下のように設計された。

Q値=1.0

屋根断熱GW 24k 300mm
壁断熱 GW 24k 200mm
基礎断熱 ビーズ法ポリスチレンフォーム 100mm

高気密 C値 1cm/cm2

山形県の木材を使う。
(集成材ではなく、製材)


サッシは木製トリプルガラス 
ガデリウス、キマド、アルスなどを想定。

オブアラップにより、建物形状のシミュレーションが行われた。

太陽光発電 5KW
次世代薄膜CIGS ブラック色
太陽熱温水器 2.0m2

オーストリア ETA社の小型ペレットボイラ(コンベクタ暖房と給湯)
換気 第1種換気 スティーベル社
雨水利用 トイレの中水利用

これらの装備で、太陽熱発電+再生可能エネルギー(ペレット)により、この住宅でつかうエネルギー24kw/m2 程度なり、カーボンニュートラル(年間を通じてCO2の排出量がゼロ)を実現させる。

エコロジカル事情 in Japan

エコロジカルな社会
エコロジーというと胡散臭さがつきまとう。それは企業が商品の宣伝のために使われる謳い文句となっているからだ。でも、本当はそれは単なる宣伝で、企業はなにも地球環境のことなど考えていないということを消費者はちゃんと察知している。だから、エコと聞くだけで胡散臭くなる。世の中のほとんどのものは、こういうエコが多い。前提には、経済活動がやはり大事で地球環境のことなどかまっていられないというのが実態だろう。だから、新品の紙を再生して、再生紙にするといった愚行がおこる。でも、もうすこし、ちがった側面から考えると、もっと世界規模のエネルギー革命が起きていることが理解できる。一言でいうと、木を薪で燃やしていた時代から、石炭エネルギーへと代わり、石炭エネルギーが石油にとって代わったのと同じ、化石燃料から太陽エネルギーへのエネルギーシフトが起きているといえる。石炭はすべて枯渇したわけではないのに、石油に変わっていったのは、燃料効率がよく取り扱い安かったからだ。また、比較的安価だったこともある。この石油をつかって、20世紀はさまざまな重化学工業がおき、プラントができ、プラスチックが作られ、自動車が普及した。どのくらい化学産業が重要視されていたのかは、理系の大学の学生の定員を見ればわかる。わたしの母校では、ダントツに多いのが化学である。これらの石油は、アメリカの世界戦略上もたいへん意味がある。メジャーが採掘し、アメリカに大きな富をもたらした。アメリカの中東での影響力の大きさも安全保障上の問題でもある。現在、世界が大きく2分されている富と貧困の分配もこのエネルギーの問題を避けて通れない。世界金融危機を経て、グローバリズムが上手くいかないことが明確になった。このあとは、グローバリズムの方向に進んでいた世界が大きく舵をきり、経済最優先の政策をとらなくなる。これはにわかに信じがたいことであるが、ダボス会議でのサルコジ大統領の演説などから計れるように短期的な経済優先ではないあたらしい価値観の台頭があるべきだと考えるのが正しい。
 しかし、日本は戦後一貫して、価値観の軸を経済優先においてきた。これが確実に教育まで浸透したのが、バブル経済である。それまで、お金儲けは下品だというような価値観が、これ以降はなくなる。そして、日本全体がグローバリズムを受け入れた。その結果として、東京を中心とした太平洋ベルトに人口が集中して、地方は元気がなくなった。これは石油産業を中心とした社会構造の変化の結果である。
さて、石油などの化石燃料が太陽エネルギーにシフトすることは、感覚的に理解できても、それがなぜ今なのか冷静に考えなくてはならない。遠い未来にそうなることは想像がつくが、なぜ今なのか。その説明がつかないと急ぐ理由が見つからない。

国際社会におけるアメリカの相対的な地位の低下
グローバリズムは経済の発展を先進国にもたらすと同時に、アメリカ自身の世界への影響力の大きさも増やし続けた。金融が中心になり、アメリカに富が集中して言ったのが、金融危機でそのシステムが完全にはたらかなくなった。また、BRICSなど新興国の台頭により、世界の秩序の予測がつきにくくなった。今後、経済は多かれ少なかれ、ひとつの地球をめざす単一のグローバル化から少しずつ離れ、その地域に大きな影響力をもつBRICSなどの大きな国家を中心にブロック化していく。ブラジルはサトウキビを原料としたエネルギーを背景に、中国はGDPから得られる巨大な富を背景に、インドは人口を武器に、ロシアは資源と大きな国土を背景に、アメリカの影響を受けないようになっていく。これらの大国の周辺の小国は、日本も含めてその大国との関係を考えざるをえない。その時にもっとも重要なのが、その国におけるエネルギー政策になるのである。その点では資源を求めて、植民地を広げて戦争に至った第2次世界大戦の前のような状況と似ているようにも見えるが、実際はそうではない。単純に資源を必要とした先進国と植民地という図式だけではなく、現在はもっと複雑である。

ヨーロッパの思惑
さて、このような状況下でヨーロッパは半世紀ほどアメリカにイニシアチブをとられ続けてきた。それは各国が小国で、アメリカと相対的に大きな力を持ちえず、資源もさほどなかったからである。強いていえば、文化や思想に優れていても、自国は高い失業率や産業構造の変化など、アメリカについていった日本を横目に見つつ、何もできなかった。その間、じっくり考える時間があったのである。そう考えると今、アメリカのメジャーが支配する化石燃料ではない、低炭素社会の実現に向けて世界のリーダーたらんとしているのは納得できる。また、長いこと試行錯誤した結果、化石燃料がなくてもなんとかやっていけるのではないか。ということを社会のコンセンサスとしてもっている。オーストリアのエネルギー自給率は木材を中心としたバイオマスエネルギーを使用して、40%近い。これは大きな数字に見えないが、現在は完成したわけではないという意識がある。だんだん増えてきての発展途上であるから、このまま設備投資が続けば、なんとかなるという実感が持てる。
 実感をともなったヨーロッパはこの分野で、世界をリードし、影響力を高めようとしている。イギリスで温暖化対策が進められたのは、原子力発電を普及のためだとも言われるが、いずれにしろ排出権をビジネスに、まるでなにもないものを売ろうとしているのには舌をまく。

産油国の事情
石油が枯渇するかどうかの議論は分かれるところであるが、その事自体は大きな問題ではない。石炭が石油に代わったのは石炭が枯渇したからではない。今も石炭はある。社会的に石油にシフトする力が全世界的に働いたからだ。さて、産油国は石油ショック以来、蓄えた富をどう使っているのか。産油国は砂漠の気候を利用し、太陽のエネルギーをダイレクトに電気のエネルギーに代えようとしている。一度、設備を作ってしまえば、太陽エネルギーは枯渇することがないからだ。たとえ、石油が取れなくなっても怖いものはなにもない。経済的にうるおえば、都市化し人口も増え、発展していく。そういうものを見越して、太陽電池の消費国となっていて、日本の企業も多くそこには参加している。

中国の事情
中国の事情は日本には大きな影響がある。中国は地球温暖化に消極的に見えるがそれは違う。先進国との交渉のうえでの、外交カードでしかない。実は国を挙げてもっとも真剣な国である。世界最大の人口に対するエネルギー政策は、一党独裁のもとで徹底している。特に、太陽電池の生産量は日本を抜いている。また、太陽熱温水器の普及も著しい。

技術の進歩
さまざまな研究や試行錯誤の結果から、ヨーロッパでは低炭素社会の実現に自信をもっている。すなわち、2050年には全世界でCO2の排出を半減。ヨーロッパでは60〜80%削減に対しての現実性がある。それは80年代からの試行錯誤の結果である。

日本の事情
さて、日本は1995年比、マイナス25%と言っているが、国民のコンセンサスがないなか、これは暴力的な数字である。まずは、大きな価値観から変えなくてはいけない。まずは国のエネルギー政策としてのエネルギー自給率の引き上げが最優先事項と考えられる。

日本のエネルギーの自給率はたった4%。産油国が値上げをしたい、アラビアの海賊がタンカーを襲ったりしたら、たいへんなことになるのである。

日本の技術は優れていると言われる。トヨタ(この時点でリコール問題が大きな問題に鳴っているが)は世界NO1の自動車メーカーだし、家電も優秀だ。中国でもっとも多く使われているのはコマツのブルドーザーなど。とにかく、日本製の技術は高い。住宅まわりのエアコンの性能(エネルギーの変換効率)は相当高い。また、オーストリアの建築家に言われたが、日本の建設業者のレベルはまだまだ高い。建設数が減っても高い技術がある。

ただ、日本の建設業界は吉田兼好にいまだに振り回されているように思う。
「住宅は夏を旨とすべし」というあれである。エアコンがない時代までは、どちらをとるかといわれたとき、夏をとったのである。これにすきま風がいいというまちがった健康ブームや高断熱高気密に対しての誤解が建物の技術革新を押しとどめている。また、メーカーは必要以上のバリエーションを出すことに専念し、とりとめのない住宅地を作ってきた。

また、商社が積極的に住宅産業に関与し、熱帯地方から木材を大量に安価で輸入したこと、安易な森林政策をとったために森林に関する産業が育たなかったことが複合的に関係し、日本の木の文化はだめになってしまった。

これには、日本の都市の不燃化が深く関わっているが、密集した東京の下町ならともかく、地方の住宅地では隣地との距離を考えれば、木で作ったとしても大きな問題にはならない。現在、ヨーロッパでは木造を積極的にすすめるために、どんどん階数などの制限をあまくしている。どうしてそれができるのか直接現地で聞いたところ、保険会社の調査の結果、木造とそれ以外の構造で大きな違いがないことを確かめるのだそうだ。なるほど、日本でもそういう政策はとれるはずだ。

最後に、日本では大きなメーカーや世界レベルで活躍している企業は世界のトップレベルをいっている。しかし、一般の企業や役所の意識のレベルはやはり低い。エネルギーの自給問題は歴史的にいっても大変重要な問題と意識すべきである。

押し出されるような感覚

去年の今頃何をしていたか、思い出してちょっとびっくり。はるか昔のことのように思えるからだ。一昨年の暮に能代の建築家の西方さんのアトリエを尋ねた。室蘭工業大学の鎌田さんの主宰する新住協のかたで、Q-1住宅を実際にいくつも建てている。ご自身のアトリエも快適な空間だ。それから年が開けて、3月にスイスフォアアールベルグに木造の高性能住宅を見に行く。どうやら、カウフマンさんという建築家の作品がたくさんあり、そのどれでもがかっこいいとのこと。ちょうど、エコハウスの本のための準備をしている頃と重なる。作ってみよう実践編を本当に作っていた。夏に本の出版、秋にカウフマンさんに来日してもらい講演会。と同時に、大学でエコハウスに参加する機会を得て、現在建設中。模型ではなく、実際の建築である。普通はいろいろ願ってもこううまくは行かない。何かしたいことの半分ぐらいがうまく行けば御の字である。たまたま、時流に乗っているっていうのはこういう事なのだろう。あまりいい気にならずに協力してくれている人たちに感謝せねば。